カテゴリ:憂
病気なわけでも仕事が激多忙なわけでもなく、取り立てて不幸なわけではないですが、身の回りのいろんなことが行き詰まってるというか、気持ちがよどんでいるというか、仕事もダイエットも日々の暮らしも、停滞しちゃってて、淀んでて、うまく言葉として書き記すことができずにいた。
そんな日々の心の底には、ひと月前の脱線事故のこと、またその前後にあちこちで起きた、多種多様な事故についての、なんともやりきれない思いがモヤモヤと横たわっている。 亡くなられた方の無念、家族や恋人の哀しみ、起こしてしまった会社に勤める人たちの胸中、そのまた家族の苦しみ・・・思うだけでも息苦しくなる。 日常のすぐ隣で「突然の死」が口を開けて潜んでいるなんて思わないし、笑っていた次の瞬間には暗黒が訪れるだなんて思いもせずに毎日を生きている。 でもそれは決して他人事ではないのだ。電車から投げ出されていたのは私かもしれないし、私の家族だったかもしれない。 ひとつの事故の記憶が薄らぐ間もなく、次々と思いもよらぬところで事故は起きているのだから。 小学校にあがる少し前、死というものを知り、「わたしはいつ死ぬんだろう」「死んだらどこへ行くんだろう」などと考えて眠れなくなったことがあった。 時を経た今、命が「果てる」ことは恐くはなくなったが、でも命を「落とす」ことはまだ恐い。そして身の回りの人が命を「落とす」のは耐え難いほどにつらい。 そう思うとまた刹那主義に走ってしまい、思いっきり食べて飲んで、パーっとお金を使っちゃいそうな自分がいる(←単純) 刹那に全力を尽くし、それを継続する、ってのが理想ではあるのだが。 ・・・・あとで振り返ってこの一ヶ月のこと、いくつか書く予定ですが・・・どうもねぇ、振り返ってみると、あれ食べた、とか、ここへ食べに行った、とかしか記憶がないんですけど(^_^;) ほんとにダイエット中なのだか、この人、と思われるだろうなぁ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.05.25 17:34:19
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