テーマ:神社(398)
カテゴリ:神社
先週、堺の宿院に居てるときに、「方違神社」ってのが近くにあるんじゃないかとカーナビに入れてみたら、めちゃ近かったのでお参りしてきた。
方違神社って、昔から何百回と耳にしてるのに行った事がないし、ちゃんとは何処にあるのか知らなかった。 多分、読み方が独特だから耳にするたびに気になってたんだと思う。 で、お参りしてみたら、とっても立派な神社だった。 本殿も拝殿も立派だったんだけど、鉄筋コンクリートの大きな社務所が目立ってしまって、本殿の作りもどんなだったか忘れてしまった(^_^;) 御朱印帳を持ってたので、授与所で御朱印をいただこうと思ったら、その鉄筋コンクリートの社務所の中に案内された。 社務所の中のホールには、郵便局や役所みたく記入机と書類とペン立てにボールペンが立ってた。 希望の祈祷によって書類に記入して提出するようになってるみたいだった。 で、御朱印をお願いしたら、待合室で待つように言われた。 ホールの横に広い待合室が在って、御祈祷待ちの人が10人ほど居らっしゃった。 なんか、びっくりしちゃったよ(^^ゞ 目の前で書いてほしかったな…。 僕は鳥居をくぐってからは写真を撮らない事にしてるので、外から撮ろうと思ってたんだけど車だから撮るの忘れて帰ってしまったんよね(>_<) そんなだから、もらった御朱印だけ載せておくね(^^) 境内を歩いてたら「三国丘」って彫ってある石碑があった。 ”あれっ?ここは三国ケ丘だっけ?” って思った。 だってJRと南海高野線の三国ケ丘駅は、ちょっと違う場所なんだ。 で、神社の由緒書きを見ると面白い事が分かった。 ちょっと転載するね。 当神社奉斎地は昔、百舌鳥耳原又は石津原と称し、摂津住吉郡・河内丹治比郡・和泉大鳥郡の三国の境界なる故に三国丘と呼ばれ、何処の国にも属さない、方位の無い清地であるとされてきました。 へぇ~!(@_@) って思った。 大阪府は旧国名で摂津国、河内国、和泉国の三国なんよね。 その三国の接点、いわば三角点みたいな土地だってんよね。 で、何処の国にも属さない、方位の無い清地なんだって! だから方違神社だったんだ! で、神社に近付いて行ったときにカーナビで分かってたんだけど、方違神社に隣接して反正(はんぜい)天皇陵がある。 神社の境内の際まで前方後円墳のお堀があった。 神社から見えるのは後円部だけだけど、大きい古墳だったよ。 天皇陵が、こんな風にポコポコあるこの地方って、考えてみると凄い土地がらだと思った。 で、反正天皇ってどんな人なんだろう?って思って調べてみた。 この人、16代仁徳天皇の子で、17代履中天皇の弟で19代允恭天皇の兄で18代天皇なのだそうだ。 だけど「反正」って、正しい事の反対みたいで、なんか酷い名前って気がするよね(^_^;) たった5年しか在位してなくて60歳の若さで崩御されたそうだ。 そんなだから、その治世期間に何をやったかはあんまり分からないらしい。 だけど、なんでも、歯並びの美しいイケメンだったらしい。 って、そんなんどうでもええわ!って思った(^^ゞ だけどね、この人、淡路島生まれなんだって! 淡路島ってとこが、日本の国の成り立ちにとって、とっても重要な所だって事を最近いろいろ耳にしててね、この反正天皇が淡路島の人って話は、興味津々だったな(^^) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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