テーマ:神社(398)
カテゴリ:神社
大神神社(おおみわじんじゃ)に参拝し、御神体の三輪山を登拝し、山の辺の道を北上して檜原神社へ参拝し、西へ下りホケノ山古墳に登り、箸墓古墳に手を合わせ、上ツ道を南下して大神神社まで帰った。
スノボ3日分ぐらい、脚がガクガクになってしまった(^_^;) だけど行って良かった(^^♪ このあいだ北緯34度32分『太陽の道』って記事を書いたんよね。 北緯34度32分を通る東西のライン上に、神社や遺跡がたくさんある不思議の事なんだ。 そしたら、ちょうど、その記事を書いた翌日にブロとものひさけいさんが三輪山に登拝されるって、コメントをくれて、もう羨ましくてしかたがなかったんだ。 その、ひさけいさんの三輪山登拝の記事は→こちら。 まず大神神社の黒い大鳥居の横の駐車場に車を停めた。 ここの鳥居の外側に手洗いがあるので寄った。 鳥居の外からは写真を撮るって決めてるんで写真を撮りたかった事もあったからね。 だけど、この鳥居、超巨大すぎて、近くではとても写真にならないんだけど内側では写真を撮らないって決めてるんだからしかたがない。 その後、大神神社の拝殿にお参りした。 で、御朱印とお守りをいただいた。 大神神社には御本殿が無くて三輪山自体が御神体という原初の神社の形態を残した神社なんだ。 天孫降臨の時にはもう大神神社はあったみたいだから、多分日本一古い神社なんやろね。 で、三輪山に登拝するには大神神社の摂社の狭井神社で申し込みをしなきゃいけないんよね。 登拝の注意事項の説明をしていただきタスキを貸してくれる。 タスキには鈴がついていて、涼やかな良い音がして、僕の持ってる熊除け鈴よりずっと良い音だったな。 三輪山自体が御神体で”御神体の様子はあんまり吹聴しちゃぁいけない”みたいな事を聞いた事があるし、三輪山に何があるかは登ってみてください。 で、三輪山の山頂は北緯34度32分のライン上、つまり「太陽の道」にあるわけで、「太陽の道」の中でも三輪山はやっぱ大物だったよ! 三輪山を下山して、タスキを返してから山の辺の道を檜原神社へ向った。 三輪山登拝で、かなり足を使ってしまってたみたいで、しんどかったよぉ(^_^;) 檜原神社へは突然横手から入るみたいで参道もなにも通らずでびっくりしたよ。 で、突然現れた檜原神社がキレイなのでびっくりした。 なんか檜原神社って、寂れた神社だって勝手に決め付けてたんよ。 というのが檜原神社には現在は本殿も拝殿も無いって聞いてたものだから、勝手に無人の神社を想像してたんだ。 そしたら、境内はキレイに掃除されてるし、これまたこぎれいな授与所があった。 そんなんで、急遽御朱印をもらう事にした(^^) 大神神社では、非公開の「三輪鳥居」が檜原神社では見れるらしいので、それは楽しみにしてただけど、本殿も拝殿もないから、見れるも何も三輪鳥居に向って参拝するんよね。 で、この檜原神社も見事に北緯34度32分のライン上なんだけど、ここが太陽の道として意味シンなんよ。 ここは、宮中に祭ってあった天照大神を初めて宮中外に出して祭った所で、その後、倭姫が伊勢の斎宮跡に持って行ったんよね。 だから檜原神社は元伊勢といわれてる。 太陽神、天照大神が動いた道が「太陽の道」ってのも出来過ぎてる! 余談なんだけど、檜原神社の前のお店でガラス瓶のラムネを売ってた。 あんまり美味しくて珍しかったものだから、持ち帰りでもう1本買ったら瓶代を30円取られてしまった。 つまり瓶は、回収してそのままラムネ工場で再利用されるから、持ち帰りだと瓶代がかかるんだって! 今時”やるやん!”って思ったよ(^_-) ちゃんとビー玉が入ってるでしょ(^_-)-☆ 檜原神社を出て、「太陽の道」に沿って真西に下りて行った。 正面に二上山が見えてた。 トンボが写り込んでた。 箸墓古墳の東のJR桜井線のすぐ東にある「ホケノ山古墳」に登った。 ここは、実は抜群の場所なんよね! 何が抜群って、まっ、次の2枚の写真を見てやって! 東に三輪山が見事に見える。 西には眼前に箸墓古墳が見える。 しかも、この古墳、高さはわずか5mほどだと思うけど、登ってみれば高原の草原にいるみたいになって、三輪山や箸墓の全体を見渡せるんだから、めっちゃ気持ち良い!(^_-) で、このホケノ山古墳をどうして知ったかというとね、内田康夫さんの浅見光彦シリーズ『箸墓幻想』の主舞台がホケノ山古墳だったんだ。 『箸墓幻想』が大好きだったから、前に来てみたら、こんなにごっつぅ良い感じの場所だったんだ(^_-)-☆ それから箸墓古墳に行って参拝した。 箸墓古墳の北西側にこんな石碑が立ってる。 これ、何て書いてあるかを書きだすね。 「大坂に継ぎ登れる石群らを手逓伝に越さば越しがてむかも」 ↑これは「日本書紀・巻第五・崇神天皇」の中の「四道将軍」に書いてある、箸墓古墳を造営する時の苦労を人々が詠んだ歌なのだそうだ。 意味は 「大坂山に人々が並んで登って、沢山の石を手渡しして、渡して行けば渡せるだろうかなあ」 なんだけど、大坂山というのは穴虫峠のことで、近鉄南大阪線で奈良県から大阪府に入る峠の部分の事なんだ。 つまりね、箸墓古墳を造営するための石を奈良盆地の西の端の穴虫峠から、東の端の箸墓古墳まで運ぶという訳の分からない事をやってるんよ。 これね、実は穴虫峠も箸墓古墳もピンポイントで北緯34度32分上にあるんよ! どちらも見事に太陽の道の上にあるんだ! つまりね、箸墓を作るための石を、春分と秋分の日に太陽が沈む場所から採集して、奈良盆地を横断して運んだって事になるんだ。 ほらっ!めっちゃイミシンでしょ(^_-)-☆ その後は、古代の道「上ツ道」を大神神社まで帰った。 上ツ道から「逆さ三輪山」を見れるポイントがあったよ♪ 大海人皇子が近江京から飛鳥まで剃髪して1日で逃げ切った事が永井路子さんの『茜さす』って小説の中で語られてる事に影響されて、僕、去年近江京のあった滋賀県大津から、飛鳥まで歩こうと計画してたんだけど、そのルートに、この上ツ道が入ってるんだ。 で、そのほんの一部の箸墓古墳から大神神社まで今回歩いたんだけど、たった1kmなのに飽きてしまったし、しんどかった(>_<) 大海人皇子が踏破した総距離は70kmぐらいはあったと思うから、僕にはとても無理だって事を思い知ったよ。 それにしても三輪山に登った後、あっちゃこっちゃ歩くのは、きつかったなぁ!(>_<) でね、三輪山の下山途中にすれ違ったおじさんが、美味しいそうめん屋さんを教えてくれたんだ。 『池利(いけり)』というお店で、量が多くて、おしゃれで美味しくて安かった! 僕が食べたのは、確か「てんぷらつき三色そーめん」っちゅうやつだったと思うけど1000円しなくて、お腹いっぱいになったよ! 場所は最初の写真の黒い大鳥居から北へ400mぐらい行った東側だよ(^^) その、そうめん屋さんを教えてくれたおじさんは気功をやってはるそうで、何度も三輪山に登ってはって、”かなりビリビリ来る”っておっしゃってらした。 残念ながら、僕には、そういうビリビリみたいなのは何にも感じられなかった「太陽の道ツアー」だったけど、今、自分の中で一番盛り上がってる「太陽の道」を快晴の太陽の下で歩けて超満足だったよ(^^♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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