テーマ:神社(397)
カテゴリ:神社
泉大津市に式内町というところがあってね、昔から式内町は知ってたんだけど、このあいだ式内町を歩いてたら式内町の語源が分かってしまった!
工場横の幅1~2メートルほどの路地の入口にこんな案内板があったんだ↓ ”なんじゃ、こりゃ?” っと思って路地を入ってみた。 なんせ、道幅が1~2メートルほどしかないから離れて写すことができないので、広角レンズでも鳥居が入りきれへん(^_^;) 粟神社って神社らしいけど、表の案内板にも「粟神社跡」と書いてあったぐらいだから鳥居と石碑だけしかない。 説明書きがあった↓ 粟神社は式内社(10世紀に天皇の命令で編纂された神社関係の公式文書に記載された神社)で、かってこの地にあり、ここの地名である「式内町」も、かってここに在った粟神社が式内社であった事が語源なんだってさ! すげぇよね! ここは、南海本線のすぐ山側で、すぐ裏には大津川が流れてる。 千年以上前も、ここは海のなかじゃなくて粟神社が建ってたんだ! ここより少し海側に紀州の殿様が参勤交代に使った紀州街道があるから江戸時代にはこの辺りはもう開けてたのは分かるけど、10世紀なんかは、海の中なんじゃないかと、僕は勝手に思ってた。 だって、前に仁徳天皇陵でボランティアをしてはる、おっちゃんが 『熊野古道の頃は紀州街道なんか海の中だよ』 って言ってたからなぁ…。 で、ここに在った粟神社は大津神社に合祀されて今もあるのだそうだ。 昨日の記事に書いたミケトラ猫が居た、あの神社↓ ついでだから、泉大津市に現存する、あと二か所の式内社に以前に行ったときの写真を載せておくね(^^♪ 泉穴師神社↓ 一の宮は堺市にある大鳥大社だから、泉穴師神社は泉州で二番目の神社なんだ! 曽根神社↓ 曽根神社の境内から「いずみの高殿」が見える↓ 「いずみの高殿」の昔の記事みっつ↓ 先日『いずみの高殿』に行ってきた。 「いずみの高殿」に落ちる金星・木星。 雪の「いずみの高殿」 しやから、この土地は弥生時代から開けてた土地で、平安時代にも式内社があったりして、めっちゃ古い土地やっちゅう事やね。 ここのすぐ北には安倍晴明のお母さんの白狐が住んでた信太森があり、そこには信太森葛葉稲荷神社があったりする。 しやけどね、泉穴師神社も曽根神社も信太森葛葉稲荷神社も、古代の道の熊野古道より海側に1キロほど離れたところに並んでるんよね。 だいたい式内社を繋ぐ形で古道ってあると思うねんけど、そんなん関係ないぐらいに古代のこの辺りは開けてて道がいっぱいあったのかも知れないな。 ほら、奈良の古道に「上ツ道」「中ツ道」「下ツ道」って、そんなに離れて無くていっぱい古道が通ってるのに、そのすぐ東に「山の辺の道」があったりするやんか。 古代の泉州も道だらけやったんやろな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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