カテゴリ:映画
二階堂(茶沢)のヴィヨンの詩の朗読から始まる。20代の頃ヴィヨンの4行詩が好きだった。なんかこれだけで得した感じ。ネットで調べたらすぐこの詩が見つかった。本当に便利な世の中になったものだ。 二階堂ふみって宮崎あおいとよく似ている。宮崎あおい(北サチ子)が演じた「害虫」の時の母親(りょう)は自殺未遂しているんだよね。二階堂(茶沢)の母親は家に娘用の絞首刑台なんか作っちゃっている。どっちの母親もリミッターが外れている。 軽口のバラード 牛乳の中にいる蝿、その白黒はよくわかる、 どんな人かは、着ているものでわかる、 天気が良いか悪いかもわかる、 林檎の木を見ればどんな林檎だかわかる、 樹脂を見れば木がわかる、 皆がみな同じであれば、よくわかる、 働き者か怠け者かもわかる、 何だってわかる、自分のこと以外なら。 襟を見れば、胴衣の値打ちがわかる、 法衣を見れば、修道僧の位がわかる、 従者を見れば、主人がわかる、 頭を覆っているものをみれば、どこの修道女かすぐわかる、 誰かが隠語を話してもちゃんとわかる、 道化を見れば、好物をどれほどもらっているかがわかる、 樽を見れば、どんな葡萄酒かがわかる、 何だってわかる、自分のこと以外なら。 馬と騾馬の違いもわかる、 馬の荷か騾馬の荷か、それもよくわかる、 ビエトリスであろうとベレであろうと、知ってる女はよくわかる、 どんな数でも計算用の珠を使って計算する仕方もわかる、 起きているか眠っているかもわかる、 ボヘミヤの異端、フス派の過ちもわかる、 ローマ法王の権威もわかる、 何だってわかる、自分のこと以外なら。 詩会の選者よ、要するに何だってわかる、 血色のよい顔と青白い顔の区別もわかる、 すべてに終末をもたらす死もわかる、 何だってわかる、自分のこと以外なら。 「ヒミズ」では、震災で何もなくなった風景が何度も間を繫ように映し出される。殺伐とした、空虚なイメージを染谷(住田)の心と結び付けようとしていたのか。 主人公の住田は母親からは愛人と逃げたため捨てられ、父親からは「お前を愛していない。だから死ね」と言われ暴力を振われる。茶沢と住田、二人はどちらも親から愛されていない。そういう環境に育つとどうしたってゆがむ。普通ではいられない。染谷はひどい言葉を投げかける親父にきれて衝動的に殺してしまう。 冒頭に明示させる瓦礫の中に放置された洗濯機の蓋を開けるとピストルが見つかるという夢のなかのシーン。その後本当にやくざから貰った拳銃を住田が湖に入って行って撃つシーンがある。あのシーンは住田が自殺してしまったのかと思わせるシーンである。でも生きていた。どんな状況でも「自殺するなよ!」というメッセージがビンビン伝わって来た。 親を殺してしまって希望なんか見出せない。環境がそうさせてしまったんだ。誰の中にも住田はいるはずなのに、その存在を認めるのは怖い。映画はそんな彼の姿を直視させる。だから、ある意味本当に危険である。 生きてしまった住田が希望を見つけるために包丁を買う。 包丁入り紙袋を握り締め一心不乱に走る彼を観て思った。あのシーンはまるでマーティン・スコセッシ監督が「タクシードライバー」の映画でロバート・デニーロ(トラヴィス・ビックル)がやろうとしていたこととおなじ。「腐敗しきったこの街を俺が浄化してやる」、「悪い奴」を殺すべく、夜の街を徘徊するシーンと同じである。 どういう終わりをするのか・・・ 住田に恋する同級生の茶沢。彼女は、どんなに邪険にされても子犬のようにまとわりつく。雨のボート屋で、住田から父親殺しを告白されたときの茶沢の表情が素晴らしい!せりふは「ウン」とうなずくだけ。そのドアップの1分の間に、茶沢の頬が徐々に紅潮し、涙が流れ出す。現実に起こったことを見ているような気持ちになったね。 住田は死ねなかったため自首を決意する。 エンドロールは「がんばれ」「がんばる」ではなく「がんばれ」 2人は埃道を走る。「がんばれ」は希望だ。 がんばれ住田が震災の風景と被って走っていく。 それ以上の言葉はエンドロールにはいらないと思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.05.09 16:13:28
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