Sound Bite Politics
久間防衛相の「原爆投下は『しょうがない』発言」問題。まあ、何はともああれ「どんな文脈だったか、発言の真意がどこにあったかは無関係に、 公の場でなされる発言は常に切り張りされて、いかようにでも編集されてしまう」ということにまったく注意が払われてなかったのが驚きだ。まあ、そうした記者会見、スピーチの際の鉄則はさておくとして、どんな理にかなった論理の中であっても「くっつけてはいけない単語の組み合わせ」ってのがあるような気がするね。たとえば「人権」 → 「必ずしも尊重されない場合もある」とか、「人命」 → 「時としては犠牲もやむをえない」みたいな感じ。「原爆」 → 「やむをえず」も日本では禁じられた結合だったのに、そこをあえて踏んでしまった、って形か。ところで、この「くっつけちゃいけない」って背景にはある言葉のアンタッチャブル化、社会全体での思考停止というちょっと深い問題が潜んでいるがあるような気がするものの、「どんなに議論をしなきゃだめなんだ!」と気を吐いてみたところでよっぽど十分に作戦を練ってからにしないとドンキホーテ状態になるから気をつけたほうがいいね。ま、講演やインタビューなんて、長いこと話してもメディアで伝えられるのはわずか数秒になっちゃうわけで、前後関係をよく読みこまないと理解されづらい、危険なフレーズは口にしないのが一番なんですけどね。ちなみに。その数秒で伝わる効果的なフレーズをいかに作るか、というのが上級Spin Doctorのお仕事らしい。(ブレアさんの「Education, education, education」みたいな感じ。)そういう意味では、メディアの文法が政治の形を規定していくわけで。まさにサウンドバイトポリティックスだ。余談:ところで騒ぎが大きくなるまでは久間氏、 「文脈とはまったく異なる内容で伝わっている」 「真意をゆがめて伝えた記者にはいずれ制裁が下るだろうから」 「発言を訂正・撤回するつもりはない」と、コメントしてたらしい。あー、ぜんぜんわかってなかったのか・・・。