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0時になるやH氏からメ-ルをいただき、今年は幸先のいい一日と
思いきや、寝ていたPがぐずりだす。 「眠たい」「痛い」を繰り返して、ゴロゴロ。 「だっこ」というのでこれはかなり辛いみたい。 しばらくお腹をさすっていたけど、右耳が痛いと判明。 中耳炎!これはかなり痛いのよね・・・ 私が子供のころ苦しんだので、よくわかる。 本当は創作教室の運営方法をメ-ルで打ち合わせていたんだけど とりやめて、寝かしつけるが10分おきに痛がるので眠れない。 明日は祖母のお通夜に義理父への誕生日祝いの購入・送付、 お祝いメッセ-ジ寄せ書きカ-ドの作成がある。 何も手をつけていない・・・ 幼稚園にいってる間にやろうと思ったのに-。 結局Pは4時くらいまで痛がったり、寝たりを繰り返した。 途中お腹がすいたという始末。 キッチンもめちゃくちゃのまま、あきらめて5時から私も寝た。 4時間後幼稚園に忌引きの連絡、創作教室のメンバ-に電話 荒れ放題の家を片付け、バ-スデ-カ-ドを作り、 雨の中自転車でPと耳鼻科へ。 やっぱり鼓膜に穴を開けて膿をとってもらった。 朝から食欲もあるし元気だったので、雨の中用事をすべて 片付け、最後にお互いにご褒美と私の誕生日ということで ケ-キを3つ買って、帰宅。 昼ごはん作ってケ-キ食べて、Pは私にバ-スデ-カ-ドを 書いてくれた。H氏から届いたオフの写真の隣に飾る。 私だけ昼寝して、2時間後にはお通夜に出かける準備。 Pはワンピ-スが着れるので大喜び。 私のフォ-マルス-ツも「かわいいね-!」とおほめくださった 寒いのでタクシ-に来てもらった。 するとその運転手さんが以前に私と亡くなった祖母を3年前に 乗せた人だったことを思い出した。 祖母がかぎを車内に置き忘れたし、その運転手さん すごいおしゃべりだったから覚えていたんだ。 バスレ-ンをぶっちぎり、パトカ-にどなられても 右折禁止も無視して、ものすごく狭い道を走って指定どおり 祖母の自宅につけてくれた。 納棺式が始まった。最後のお顔は想像と違ってちょっと ドキッとした。 牧師さまがお話してくださり、親戚の何人かが祖母の思い出を 語り、私の父も泣きながら話したが、なぜか頭に入らない。 祖母は英語仏語が堪能で映画とおしゃれと舞踊が好き。 なんだか私も彼女の影響うけているんだなぁと今更感じた。 明治の人だけど、海外で子供を二人産み、80才過ぎても ハイヒ-ル、ブ-ツをはきこなしていたっけ。 献花をし、食事をとりながら、祖母を偲んだ。 Pはまた食欲旺盛でずっと食べ続け、「帰りたくない」とまで。 こじんまりしたお葬式だったから皆さん暖かくPを見守って くださったが、こちらは冷や冷や。 いつ踊りだしたり歌いだしたりするかと思うと落ち着かない。 他に小さい子がいないのが救いだった。 帰りには「今日はママのお誕生日でお葬式、楽しかったね!」 この3歳児にはお葬式の意味がいつわかるのであろうか・・ 夜Pを寝かしつけて、やっとPCを開く。 da nyonの皆様にお礼の言葉を書き込む。 ここには目に見えないあたたかいものが流れている と感じる。ほっとする。 いう一日。 こんなに多忙な誕生日はなかったと思う。 そして明日は告別式。 う-んもう明朝のことを考えてしまう。 先のことを何も考えなくていい日が一日でいいから ほしいなぁ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2003年11月12日 00時39分46秒
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