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何に罪悪感を抱いているのか、誰に対して良心の呵責を感じているのか、ストレスは胃の中に溜まっていく。 祖父は何でもできたらしい。大学で教え原典購読は当然、美食家で自分でドイツ料理もこなす。加えて文才があり家族に宛てる手紙も泣かせるものだったようだ。 でも、外に子供を作り晩年離婚をした。つまり、母は捨てられたのだ。 私はピンクが着たかった。フリルもリボンも纏いたかった。髪も長くのばしたかった。全て叶わぬ夢だった。今にして思えば、女性性をひどく嫌悪していたのではないだろうか。 結婚は裏切りだったのかも知れない。自分の娘意識がものすごくあるから、いまだにヨメに出したという感覚は皆無だ。親戚の前に出ると、ちゃんづけで呼ばれ、ほら挨拶なさい!なんて言われる始末だ。 家族4人、母にとって自分と夫、私と妹というユニットは永遠なんだろうか。 実家には妹が残っている。母は電話をしてくる。「ノリコさんにばかり色々やってもらって申し訳なくって。」 じゃ、私にやれと?! じゃ、うちの家事は誰がすんのさ? ノリコさんは家事手伝いの身の上なんだから当然っちゃぁ当然だし、別段彼女は不平なんぞ言っちゃいない。しかも、妹ってぇことは私より若いだろー! どんなに愛されて育ったか知れないが、私が小さい時に祖父はうちを出ていった。既に母は結婚もして、私だけじゃなく妹もいた。父の愛情だけでは足りなかったのだろうか。裏切られた母は、愛情に疑心暗鬼になり執拗になったのだろうか。 ばかばかしいが、私は、実の母の顔色を覗う。気を使う。なんと疲れること。ちゃぶ台をひっくり返して啖呵を切れればどんなにすっとするだろう。 あの頃、髪が長かったらもっと可愛かっただろう。リボンを結んでくれる母に憧れた。今さら髪をのばしても、可愛くもなんともない。それでもピンクのカーディガンを着て実家に行く。母は、ちょっと軽蔑したような目をする。承知の上だ。大人気無い私。 自慢のじいさまより、私の父を大事にすればいいのに。気が利かないし言葉も足りないかも知れないが、今の年まで勝手させてもらっているんだから。何より、捨てられていないのに。 だめだ。意識が混濁してきた。さすがに毎日三時間睡眠はまずい。全く頭の中で文章が動かない。言葉のしっぽが捉えられない。推敲を同時にできない。幕切れが尻切れとんぼだなんて、前代未聞だ。 ごめんなさい!シャワー浴びて ♪渚を歩いて のアレンジしまぁーす。来月は20日がアルマナックでライブです。
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