カテゴリ:家族
家族は子ども二人。 普通は、ご主人がいて、手術の同意書とかにサインして、 主治医の説明も聞いて、それを間接的に聞く立場だと思うけれど、 うちは、子どもしかいない。 急いで、息子にロンドンから帰ってきてもらった。 ロンドンでの展示発表があったらしいけど、 他の学生達は、 「家族が一番だから、展示はまた後でしよう!」 と言ってくれ。 教授も 「家族の元に帰りなさい」 と学校を休むのを許可してくれた。 息子は、家族第一に考えてくれる社会がとてもうれしいと言っていた。 それから、 主治医の話を聞くのも3人一緒。 家に帰って質問事項を考えた。 その時はネットが非常に役立った。 私はしっかり返事をしているようで、大事な事を聞き逃していたりしていた。 そこは、息子が質問をし、娘がメモを取る分担が出来上がっていた。 家族っていいものだとしみじみ思った。 娘が手術の同意書にサインをしてくれていた。 そして、揃って手術室に行く私を見送ってくれた。 どんなことがあっても、ちゃんと居てくれる。 この安心感は絶対的なものだと思った。 手術が終わり、私は麻酔が覚めつつある時に、 執刀医の説明があったらしい。 医師は家族室に若い子だけなので、びっくりされたようだけど、 子ども達は、しっかりと容態を聞いてくれていた。 入院中は、 面会時間はずっと私の病室にいてくれた。 娘は必要な物を揃えてくれ、洗濯物を運んでくれた。 息子は私の学会発表のパワポをよりナイスな物に、してくれた。 こうやって3人が長時間揃うのは実に7年ぶりだった。 うれしかったなぁ!! 毎日、笑い声でいっぱいの病室だった。 看護婦さんたちが、「本当に仲がいいんですね♪」といつも言われていた。 いろいろあったけど、人間としてお互いに尊敬できる間柄になれたのがうれしい。 そんなつかの間の入院も終わり、すぐに退院。 手術から6日目には、教室でいつも通りの授業をした。 大学も1回、入院で休んだだけで復帰した。 不死身だと言われた。 手術3週間後に、病理検査の結果を聞きに行った。 このときが一番恐かった。 ガンの顔を見ないとわからないことばかりだから。 温存の場合、病理検査で取り残しがあると、再手術+放射線治療。 全摘でも、広がっているガンだったら、抗がん剤治療、放射線治療になる。 病理検査結果が出るまで、治療方針は未決定。 幸いにも、私のは、0期非浸潤という結果だった。 抗がん剤治療も、放射線治療も必要なし。とのこと。 薬も何もないので心配になり。。 なにか欲しかったので、痛み止めをもらった。 「痛くないでしょ?」と言われながら。。 でも、精神安定剤の役目は十分してくれた。 授業中は必ず痛み止めを持っていた。 安心、安心♪ お風呂での傷口の洗い方がわからなかって困った。 石鹸を泡立てて、やわらかく、やわらかく、患部の上を撫でる。 すると、かさぶたが、いつのまにかキレイに無理をせずに取れる。 あまりこすると、傷がついてバイキンが入ったら大変だから、 本当にやさしく、やさしく、撫でて洗った。 今、もう左右の腕は同じように動き、誰が見てもわからないと思う。 子ども達の愛に支えられて受けたガン告知、そして、手術。 家族がより強く繋がった。 そして、人の役に立つようにともらった命。 がんばって子どもたちに未来の贈り物をしようと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[家族] カテゴリの最新記事
|
|