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最近、あちこちのバス停などでよく見かけるのがこの写真の広告である。この人物はいうまでもなくアインシュタインである。
今年2005年はドイツではアインシュタイン・イヤーとなっていてその宣伝となっているのがこの看板である。 なぜ今年がアインシュタイン・イヤーなのかと言えば、まず特殊相対性理論が発表されて今年で100年目になり、またアインシュタインが亡くなって今年で50年目を迎えるからである。 今年はドイツ中でアインシュタインにちなんで科学や世界平和をテーマとした催しものが行われるそうである。 (アインシュタイン・イヤーHP 独・英) 僕が注目したのはそのことよりも、この看板に赤い文字で書かれてある一文だった。写真ではぼやけていて読みにくいが、次のように書いてある。 "Wichtig ist, dass man nicht aufhört zu fragen." Albert Einstein 日本語では、「大切なのは、問うことをやめてしまわないことだ」となる。 一見ありきたりだが結構胸に突き刺さるものがある。 だれでも、子供の頃は色々なことに疑問を持ち、大人に聞いてまわるものだが、大きくなるにつれ、そういうことはやめてしまう。「疑問の奥にひそむ真実」よりも「社会生活を円滑に営む」ほうへと関心が移っていくからであろう。 僕も少年時代はすぐに疑問に思うタチで、周りによく尋ねていた。だが、6歳くらいの頃だろうか、お店のおじさんにしつこく何かを聞いたことがあった。今から思えばそのおじさんも仕事中で忙しかったのだろうが、しつこくまとわりつく僕に切れてしまい、「ああっもう。うるさい坊やだなあ」と叫んだ。 僕は子供心に「迷惑かけてるんだな」と反省した。そしていつしかあまり何かにつけ疑問に思ったりそれを人にぶつけてみたりすることがなくなった。 しかしそれでは一見社会生活を円滑にするかのように見えるが何も建設的要素がないし、人生が面白くない。 僕のそのような「無関心病」を直してくれたのは一昨年まで行っていたオスカ・ヴァルカー・シューレ(OWS)だった。ここの授業を受けているとピアノの外形的な部分でさえ「なぜこうなっているのか」と思わされてしまう。 卒業してからもまだピアノに関する謎は残っているので、「問うこと」はやめずにすみそうである。 アインシュタインがどういう意図で「問うことをやめるな」と言ったのかは定かでないが、色々なことに関心や謎をもってそれを問い続けるのは少なくとも無関心であるよりは楽しそうだ、と思う。 経過時間 1月 23日 3時間 9分経過 吸わなかった煙草 541本 吸った煙草 0本 浮いた煙草代 108ユーロ 延びた寿命 1日 21時間 5分 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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