テーマ:楽器について♪(3648)
カテゴリ:カテゴリ未分類
もう長い間このブログも放置してしまい(パスワードも危うく忘れるところだった)、楽天ブログで友達設定していた方の多くはミクシィで関係を継続していたり、ブログも休眠してしまったりで、いずれにせよこちらはご無沙汰となってしまった。
ところが、最近当ブログの休稿以降に新たな読者がおられると聞いた。そして、新ネタを希望する声も聞かれるようになった。 とりあえず、何か書いてみよう。 しかし何書いたらいいのだろう。 やっぱりピアノのことだろうか。 ピアノ。 ピアノのことと言えば、ずいぶん前から不思議に思うことがあった。 それは、 ピアノらしさ、ピアノっぽさ、ピアニスティックなもの。 これはいったいどこから来たのだろう。 ということだ。 編曲ものをレッスンで弾くと「それはピアニスティック過ぎる」と言われることがある。何となくイメージは沸くのだが、そもそもピアニスティックって何ぞや。 作曲家がある作品の使用楽器としてピアノを選ぶ時、「ピアニスティック」であることは少なからず重要な要素となることは間違いないだろう。 しかもこの「ピアニスティック」なるものは音楽史上、中世、バロックから徐々に積み重なって発展したもの・・・とは言いがたい。 むしろピアノという楽器の登場とほぼ同時期に突然変異的に登場しているのだ。 それでは、ピアノという楽器ができあがって、作曲家たちがそれを色々いじくってこの楽器の特徴をつかんでその魅力を引き出すために生み出されたものが「ピアニスティックな表現」なのだろうか。 ピアノという楽器の歴史を見るとそう考えるのは少々無理がある。 なぜならピアノの発展は音楽家たちの…時には無茶な・・・要求を健気に実現させようという努力の積み重ねによるものであるからだ。 すなわち、初期のピアノ曲作家たちが目の前にある原始的なピアノに創作意欲を掻き立てられた(もちろんそれもあるだろうが)というより、もともと作曲家に表現したいものがあって、それを実現させるために古今さまざまな製作家が骨折り苦心して楽器を作り上げてきたというのが事実だろう。 半ば「にわとりか卵か」的な話だが、ピアノがピアニスティックな表現を実現できるレベルに発展する以前からその表現があったとすれば・・・いったいそれは何処にあったのだろうか。 と言うわけで、こんなことを今まで色々考えてきたので、少しずつ新しいネタとして書いてみようと思う。 無論、これは持論の域を出るものではなく、せいぜい戯言である。 ましてや学説などという格好の良いものではない。 でも、「言論の自由」もあることなので、何か書いてみようと思う。 とりあえず次は・・・いつになるかわからないが、多分つづきはあることだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|