テーマ:楽器について♪(3647)
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パンタレオン・ヘーベンシュトライトの生誕の地につづいて、その後の足跡をたどってみようと思う。
1691年1月にヴィッテンベルク大学に入学手続きしたと言う。その後、ライプツィヒでダンス教師と楽団でのヴァイオリン奏者の職を得ている。 その間、ベルリンの作曲家ヤン・バプティステ・フォルミーアを訪れ、また作曲家ヨハン・クーナウのもとでレッスンを受けている。 ライプツィヒについては、以前当ブログに書いたことがあるのでこちらをご覧いただければ幸いである。(ライプツィヒ・聖トーマス教会 →) ライプツィヒ1 ライプツィヒ2 ところが、パンタレオンは何らかの負債を負ったようで、追われる身となってしまった。そして、メルゼブルクの教会の牧師のもとにかくまわれることとなった。そのような事情から、しばらくメルゼブルクでの隠遁生活がつづくことになった。 だが、結果的にこの逃亡生活が後のパンタレオンを生み出す土壌となったのだ。 と言うのは、この期間に彼はダルシマー(ハックブレット)と向き合い、この楽器に日々改良を加え、独自の新しい楽器と音楽表現を作り出したからである。 すなわち、メルゼブルクでの滞在期間こそがパンタレオン音楽を生み出すための貴重な期間なのである。 というわけで、今回はこのメルゼブルクという町に注目してみたい。 (← メルゼブルクのマルクト広場) メルゼブルクはライプツィヒの西、ヘンデルの故郷ハレの真南、ザーレ川沿いに位置する、中部ドイツで最も古い歴史を持つ町である。とりわけ”メルゼブルクの呪文書(Merseburger Zauberspruche)”という古文書の出所として知られている。古くは神話や迷信のさかんな町であったらしい。ちなみに「メルゼブルク」の町名はローマ神話に出てくる戦いの神「マース」に由来していると言われている。 しかし中世以降はキリスト教化され、マルティン・ルターもたびたびここを訪れていた。特に大聖堂のオルガンは素晴らしいことで有名で、毎年9月にはここで"Merseburger Orgeltage"という催しが行われている。ちなみにフランツ・リストはここのオルガンに感化されて多くのオルガン曲を作曲した。 (メルゼブルク大聖堂/ドーム →) 10世紀のはじめ、メルゼブルクの伯爵の娘ハーテブルクが東フランク王国の国王ハインリヒ一世と政略結婚したことから、この町にも砦が建設された。当時、このあたりはハンガリーから度々攻撃を受けていたのである。実はハインリヒはしばらくしてマティルデという美女に一目ぼれし、前妻ハーテブルクのほうは離別してマティルデを娶ることになるのだが、依然としてメルゼブルクには塁が築かれていた。 「リアデの戦い」でハンガリーを破った後、城は頑強にされ、内部はフレスコ画で豪華に装飾されたと言う。 さて、パンタレオン・ヘーベンシュトライトであるが、ある資料によれば彼はメルゼブルク付近の村に隠れ住んでいた、とある。それがどこなのかは全くわからないが、メルゼブルクの教会の牧師の家と言うから町の中心からさほど離れてはいなかったであろう。 いずれにせよピアノ誕生のきっかけとなったパンタレオンの音楽と楽器が、この文化と歴史の坩堝のような小さな街で育まれていったということはとても興味深い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.08.09 05:31:09
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