この歌一色に染まった時代があったこと、もっとかみしめなければいけないのじゃないかな。涙無しでは観ることができなかった、今朝の『おひさま』明日は出征するとわかっていて結婚式を。そして翌朝は出征。今度いつ会えるのかはわからない。永遠に会えないかもしれない。。。
そんな夫婦が日本全国に一体、何組あっただろう。今元気でいらっしゃる85歳以上の人はほとんどが経験されたのじゃないかな。
ある意味で、この歌は日本人の心を一つにしたと思う。兵隊さんのお陰で自分たちは平和に暮らせること。なので兵隊さんには感謝しましょう。というような。
でも、いつからだろう。そんな兵隊さんたちの横暴が始まったのは。『お国のため』を名目にありとあらゆる横暴が繰り返されたこと。そのことも隠さずに後世に伝えていかなければならないのじゃないかな。
我が子を戦場へ送り出す母親を『おひさま』で演じていらっしゃったのは樋口加奈子さん。テレビドラマだからこそ、こんなに平常心でいられたと思う。もう二度とは生きて会えないかもしれない息子を、いつもどおりに送り出すなんてこと、普通じゃできないと思う。
91歳になった母の私たちがこどもなわけだから、幸いにも出征など関係は無かった。母の親世代。。。生きていれば一体何歳だっただろう。母の母が46歳で、母の父が50歳台で他界してしまっているし、家の祖父と、そんな話をした経験が無いままに祖父は他界してしまった。何やら、兵隊の訓練中に祖父は息子を一人亡くしているらしく、それは見事なお墓を建ててある。兵隊さんはそんな特別の存在だったようだ。何か手柄を立てたのではなく、訓練中の負傷がもとでの落命なのに。なので、祖父は戦争のことを話したがらなかったのかも知れない。祖父は足を怪我していて、検査には甲種合格とはならなかったようだ。父は姫路に滞在していたらしいので、神戸にいた母とはときどきデートもしたようだ。いよいよ戦火が激しくなって母は淡路島へ。昭和19年には結婚したらしいので、父もその頃には淡路島へ戻っていたのかどうか、肋膜炎とかで入院の後の帰島だっただろう。結婚式が12月25日だから、何を根拠にクリスマスを選んだのか、その辺のところは聞いたことがない。
母が大正9年、父が大正10年の生まれ。なので、戦争体験というと、この辺が境になるだろうか。
もう二度と戦争はしない。という約束を世界中に発信した日本。『兵隊さんよありがとう』なんて歌を二度と歌うことは無いと信じている。いや、信じたいところだ。
だって、食糧危機が始まると、どうなるかわからないんだもの。頼むよ、政治家さん!