昨年の夏以降、まるきり動けなかった私。冬場はお風呂さえも入る気になれなくて、ともかく動く気になれないでいた。なのでかどうか、かかとが小さくなってしまった気がする。
骨粗鬆症の検査はかかとでやるので、一番骨が集まり易い部分なのかなぁ。足の指がある方はそうでもないのに、心なしか、かかとの部分が随分小さくなったように思うのは何故なんだろう。なので、歩いていてもとても不安定な感じ。
例えば台所で包丁を遣うときなどはそうでもないのに、合唱の練習などで長時間立たされることがある。ヒールのある靴など、普段は履かないので、尚更足に負担がかかる。先日も、淡路合唱連盟加盟団体では年に2回のうちのひとつ、淡路音楽祭があり、リハーサルの前の練習、リハーサル、リハーサルの後の練習、そしてアルトだけの部分練習と、かなりハードな練習が続いたものだから、足がバンバン状態。なので、歩き方も何だか変になる。なので余計に痛くなるのかどうか、ともかく膝やかかとが変な具合。
立ち続けたために起こったことなら良いんだけど、鍼灸師さんにまたあきれられてしまいそう。運転は、AT車なので右足1本しか使わなくて良いんだけど、配食サービスの仕事で、厨房に立っていたときは、長靴をはいていたので、「あなたには長靴は無理」なんてことを言われたこともあるけど、立つことで足と足首から上を垂直にしなければいけないあの角度が、とても負担に思えてしまうことがあって。。。そんなに高いヒールを履いていたわけじゃないのになぁ。結局、それだけ立つことを忘れていたために、退化してしまったのかなぁ、私の足。正座の方が平気っていうのもおかしいのかなぁ。まぁ、短足胴長なので。。。
実家では食事は椅子に座ってというスタイルだったので、(田舎では、大抵土足で食べるので)正座するという機会が無かった我が家。なので小さい頃、正座ができなかった私。それも、今こうして足が痛むことと関係あったりするのかなぁ。股関節の具合とか。母が3回も4回も人工股関節の手術をしているので、それをそのまま引き継いでいたら私も?なんて思うけど、母が手術した整形外科でレントゲンを撮った結果、母とはまるで違うことがわかってホッとしたんだけど、私は私なりの痛みが発生するのかなぁ。
確かに、大阪にいた20代の頃は、ひたすら歩いたけどな。南海高野線の住吉東駅から、ひたすら西へ西へと歩いていたんだから。住吉区の寮へ入ったばかりの頃は、一旦難波方面へ出て、岸の里で南海本線に乗り換えたりしていたけど、それが面倒で、歩いてあるけないことは無いのかな。と結局どのくらいの期間を歩いていたかなぁ。。。?なので、今でも歩くことは全く気にならないんだけど、じっと立っている、しかもヒールで。ってことになるとまるで違うのよねぇ。だから、例えば『第九』を初めて歌うときなんか、第三楽章の間ひたすら待たされ、その後やっと第四楽章になるわけで、これで足が悲鳴を上げること、体験してみなければわからないんですよね。なので、慣れている人は、ロングスカートの中で裸足になったりしてるんですよ、実は。最初からそんなに高いヒールを履かずに。
鍼灸師さんのお世話になるきっかけは左足足首の浮腫。内科的な投薬は最初の一週間だけを利尿剤プラス降圧剤。で、今は降圧剤のみ。私には、婦人科的手術をしたときに腫れ出したのと全く同じだと思ったけど、心臓からきていただなんてねぇ。でも、あの手術をしたとき、確かに整形外科で水を抜かれたけどなぁ。あれは何だったんだろう?医師が診れば水によるものなのかどうか。そりゃわかって当然なんだろうけど。でも、印刷屋さんで正座しての作業を辞めた途端だったことから考えると、案外その頃から心臓が怪しかったのかなぁ。。。?捻挫という古傷があるのでてっきりそれが原因と思っていたら、そんなことはあり得ないのだそう。まぁ、手術にしても何にしても、元には戻らないのは確かなようですね。加えて年齢のこともあるし。。。でも、足は大事な部分なんだからしっかりとケアしないと、寝たきりになどなったら大変だ。