久しぶりに更新します
7月以来の更新となってしまいました。いろいろとご心配をおかけしましたが塾業務の方は相変わらず授業の入れ替えごとに机を一つ一つ消毒し、1日1日あれこれ苦闘しながら11月まできちんと進んできました。ブログの方はどのくらいの頻度で更新できるかわかりませんが引き続き宜しくお願い申し上げます。本日はひたちなかで行われた早慶戦120周年記念の「全早慶野球茨城大会」の観戦に行きました。両大学とも野球部、応援団、チアリーダー、楽団がフルメンバーで来県してくれました。西武ライオンズ1位指名の蛭間選手(早大)も間近で見ることができました。早稲田の先発は今年押しも押されもせぬエースとして成長し、秋の東京六大学リーグ戦で防御率1位のタイトルを獲得した加藤君(下妻一高出身、3年)。多くの方はそれほど大学野球に詳しくないと思いますが早大のエースとなるということは、勉強に置き換えると下妻一高の卒業生が灘や開成(の中でもトップクラス)の出身者が集まるゼミに入ってしまい、教授から「うちで一番優秀な学生はこの子だよ。」と推薦されてしまうようなものです。昔と違ってスーパーアスリートが入学しやすくなっているのでなおさらです。現に加藤君の早大の同級生には甲子園の優勝投手や準優勝投手がいるのですが、そのような厳しい環境の中でエースの座を勝ち取りいまや東京六大学を代表する投手となっています。私は下妻一高の出身者が六大学のどこかのエースになるよりは下妻一高の甲子園出場の方が可能性がずっと高いと思ってきました。彼にとって幸運だったのは早稲田の監督が元ロッテのエース小宮山(芝浦工大柏高ー早大ーロッテ)だったこともあるかもしれません。コントロールの良さは投げる精密機械と称された小宮山の学生時代を彷彿とさせますし、また野球の強豪校出身ではないところも共通しています。今年は神宮球場の明治戦で一度ライブで観戦しているのですが茨城で見るのは2019年の夏の大会3回戦対つくば秀英戦(6ー2)以来となります。「昨年夏に続き遅いストレートで好投」とメモが残っています。この昨年夏というのは2018年夏の対藤代戦(2ー3)のことのようです。2019年は4回戦で6ー3で竜ヶ崎一高に敗れています。この試合は観戦できませんでした。このあとで早稲田の入試に向けて勉強を積んだことになるようです。今日は故郷凱旋の緊張からか秋の疲れからか球が全く走らず高めに浮いたところを早い回で痛打されてしまいました。慶應大学の方では2年生、3年生と主力投手として活躍し、順調なら今年のプロ野球のドラフト会議にかかったであろう下妻出身の生井君(4年生、下妻市立千代川中ー慶應高校ー慶應大学)が今年は故障のためリーグ戦でも全く投げることができず残念でした。社会人(日立製作所)で野球を続けるようなので故障を治して都市対抗で活躍してほしいものです。早稲田大学、慶應大学とも茨城県ではたいへんな不人気大学でこのような催しに人が集まるのか、もしかしたら客も50人くらいしかいないのではないか?と心配して出かけたのですが、たいへんな盛況でおおいに楽しめました。慶應のスタンドでも観戦してみたのですが、それぞれの大学のご高齢のOBの方々が歌詞もなく塾歌や若き血、校歌や紺碧の空を歌えるのも驚かされました。私が大学に通っていた1980年代は早稲田の学費が前期21万円、後期21万円の年間42万円でした。(入学金も21万円で初年度納入金は63万円)。イメージと異なり慶應はもっと安くて初年度納入金は60万円を切っていました。当時の下妻一高までのバス代が年間で約30万円だったことを考えると学費そのものはそれほど高くはありませんでした。いまは学費も高いです。大学生の平均仕送り額もバブル崩壊後の1994年でさえ、125,000円なのに対して2020年は82,500円となっています。うちは自営業でしたが、1990年前後はお父さん一人が働いてお母さんは専業主婦が多かった時代です。(私にかぎらず)良い時代でした。早大や慶大どころか一橋や東工大も私の学生時代に比べれば首都圏4都県出身者ばかりになってしまいました。茨城県でこのような催しが行われるとは。。早大側応援席。加藤投手(早大エース、下妻一高出身)チアリーダー、私の頃はイモっぽかったが垢抜けたお嬢さんが多くて驚き。