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進学塾キャラベル 西東京市 都立自校作成・難関私立高校受験

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2024年07月05日
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カテゴリ:その他
ある中学校の英語で期末試験をやり直すことになったそうです。原因は、どこかの塾が定期試験を配り、問題が流出した可能性があるからということです。




​定期試験の過去問配付については、以前から塾業界、学校界で問題となっており、私は一貫して「塾が定期試験の過去問を配付して、定期試験対策をすること」に関しては反対の立場です。​


過去の塾生にも「他の塾に通っている友達が、定期試験の過去問を塾から配られて丸暗記している姿を見かけることがあるでしょうが、キャラベルに通う皆さんはどうか我慢してください」と伝えています。今年の中1クラスや中2クラスに対しても、5月頃にお伝えしました。


定期試験の過去問を塾が配って対策することに対し、私が反対する理由はいくつかあります。


​<理由1 著作権の問題>
定期試験過去問は学校の先生の著作物と考えられ、著作権法により保護対象となっていると考えられます。実際は、訴訟費用や時間的コストから、学校が塾を訴えるケースはないため、判例自体が整っていませんが、作成者(学校教員)の許可を得ずにコピーし、配付もしくは配布することは複製権侵害になっている可能性が非常に高いと、当塾の顧問弁護士もおっしゃっていました。


​つまり、定期試験過去問を配付している塾は、法律違反を生徒に対して行っていると同時に、生徒も巻き込んでいる可能性が高いということです。​


​<理由2 公平性の観点>​


現在の入試制度において、学校の内申点が入試結果に占める割合は決して低くありません。これは都立入試、私立入試どちらにおいてもです。

​高校受験を目指している子にとって、定期試験で良い点数を取るかどうかは死活問題であり、その定期試験において過去問を持っているか持っていないかで、成績に差が出るのは「公平性の観点」から好ましくありません。特定の塾に通っている子とそうでない子、経済的に塾に通えるご家庭の子とそうでないご家庭の子の間で、定期試験で有利不利が出るのは非常にまずいことだと私は思うのです。
​もちろん、現在の日本では、世帯年収と子供の学力が密接に関係していることは、皆さんご存じの通りです。経済的に塾に通えるご家庭の子」と「そうでないご家庭の子」の間では明確に学力差が広がることは当然ですし、これに関しては私も問題ないと考えております。それが資本主義社会です。努力した者の学力は高くなり、そうでない人との差が広がるのは、むしろ健全な結果だとさえ思っています。

​​​しかし、定期試験の過去問配付の問題点は、定期試験を受ける「前の段階」で、「事前に答えを知っているグループ」と「知らされていないグループ」に仕分けされている点です。つまり、本来、学力VS学力で戦うべき定期試験において、それ以外の要素がノイズとして介入しているのです。塾に通っていない子達は、「事前に答えを知っているグループ」と勝負するというハンデ戦を強いられており、そもそも試験・勝負・ゲームとしてアンフェアなのです。​​​



<理由3 問題が表面化してこない>

この3つめが、塾生に定期試験の過去問を使って勉強してほしくない理由です。

定期試験過去問を丸暗記して勉強しても意味がありません。


​​入試においては、志望校の過去問を研究し、それにより対策を練ることは大変重要ですし、意義があることです。しかし、定期試験過去問に関しては、学校の先生が丸々同じ問題を出すことがしばしばであり、その答えを丸暗記すれば点数が取れてしまいます。これは学力向上の観点から全く意味がありません。​​


​テストの目的はいくつもありますが、テストを受ける側(生徒側)の目的は、現時点の問題点をあぶり出すことが最大の目的だと考えています。

​たとえば、サッカー日本代表も、いきなり公式戦やワールドカップ本戦には臨みません。まずは紅白戦をしたり、親善試合や練習試合をしたりします。そうして、テストを繰り返す中で、「上手くいっていること」や「上手くいっていないこと」をあぶり出す作業をします。「上手くいっていること」は継続・維持し、「上手くいっていないこと」は修正したり、作戦を練ったりします。そして、本戦に臨むわけです。​



​高校受験生のとっての本戦は、入試本番です。その本番前に定期試験や模擬試験という場でいくつかテストを経験し、問題点をあぶり出します。ところが、​定期試験過去問を丸暗記し、それがそっくりそのまま出題される定期試験で良い点数を取ってしまうと、皆さんが持っている問題点が表面化してこない​のです。

​本当は問題点を抱えているにもかかわらず、それが表面化しない。これは非常にまずいことで、このまま入試本番を迎えると、入試当日に初めて問題点が表面化してくることになります。時既に遅しです。また、定期試験過去問を丸暗記して良い点数を取っている子達は、本来の実力以上に点数を取っているため(いわばドーピングしているのと同じ状況)、実際には「受験してはいけないようなレベルの高校」を受験することにもなりかねません。​


定期試験過去問の暗記は皆さんの入試戦略をも狂わせます。




<理由4 人の嫌がることはしない>

最後の理由です。
学校の先生は、塾で自分の過去問を配られるのを望んでいるのでしょうか。喜んでいるのでしょうか。

きっと答えはNOではないでしょうか。

人の嫌がることはしない。過去問配付の禁止については、もう最終的にはこれに尽きると思います。


​中2クラスでは先月お話ししましたし、中3でも年末あたりに講義することがありますが、ホッブスの『リヴァイアサン』という有名な書物があります。ここに「万人の万人による闘争」という、これまた有名なフレーズが出てきます。​


中3の公民や高校の倫理で勉強しますが、我々は「社会契約」というものを結んでいます。


簡単に説明すると、まず世の中のみんなでお互いに「社会契約」という約束をして、社会を作ります。

そして、個人が持っている権利の一部分を社会に預けて、ルールを作ります。このルールは成文化されてなくても大丈夫です。(文章になっていなくても良いということ。暗黙の了解ってやつ)

こうしてルールができると、秩序というものが出来上がります。

すると、その社会にいるみんなが、その秩序の中で、自分の命や権利や財産を守れるようになるのです。


反対に、こうした社会契約がない世界だと、「万人の万人に対する闘争状態」になってしまって、争いが絶えなくなります。ホッブスはこれを自然状態と名付けました。

自然状態では、自分の気にくわない奴は殺してしまう人も出てきますし、他人の権利を侵害する奴も出てきます。

しかし、日本は近代社会です。ここでは、皆さんは生まれながらに社会契約を結んでいるので、他人の権利を奪うことはできないし、反対に他人から権利を奪われることもない。簡単に言えば、人の嫌がることはしちゃダメですし、その代わり、人から嫌がることをされることもないはず。

え?自分はそんな契約をした覚えはない?だから、社会契約なんて守りたくない?


だったら、すぐさまこの日本社会から出ていかないとなりません。


​いま皆さんが街を歩いていて急に襲われることはないでしょう。子供も女子も塾の帰りの夜道も安全に歩けるでしょう。喉が渇いたら、学校や公園の水道水を飲んで大丈夫ですし、めったにお腹を壊すこともないでしょう。義務教育を受けられ、希望すれば100%近く高校へ進学でき、その後、選ばなければ大抵の人は仕事にありつけ、ご飯を食べられる。こうやって社会の恩恵を受けているのは社会契約を結んでいるからです。社会契約の「美味しい部分」(権利)だけ受け取りながら、それ以外の面倒なこと(義務)は果たしたくない、というのは近代国家では認められないのです。​


自分は社会契約なんて結んでいないという人は、こうした安全性も放棄しなければなりません。つまり、いつ襲われるか分からない道を日々歩き、学校教育は受けられない環境に身を置き、お腹を壊すかもしれない水を飲まなければなりません。


以上のように、近代国家に生まれた皆さんは無意識のうちに社会契約を結んでいるのです。


こうした社会において、ルールを破ったり、人の嫌がることをした者は制裁を受けます。自分の希望を叶えたいために、相手の嫌がることをするというのは、ルール無用の世界線。その世界は「万人の万人による闘争」という世界線です。警察も自衛隊も政府も法律も誰もあなたを守ってくれない世界です。弱肉強食の世界です。大昔に流行った漫画で言えば、北斗の拳みたいな世界ですから、力のない者は殺される世界です。


自分の塾生の点数を上げたいがために、学校の先生の権利(テストをコピーしてほしくないという気持ち)を侵害するというのは、ホッブスの言う「万人の万人に対する闘争」の世界です。ルールから逸脱しています。自分が社会に守ってもらっていることを忘れてしまっている愚かな所作です。相手の権利を潰すということは、自分の権利も潰される可能性があるということです。「どうせ訴えてこない」と考え、自己の権利だけを主張するのは大変愚かな行為です。他人の目がなければゴミを捨てたり、警察がいなければ赤信号を渡ったり、というのと同じレベルの所作です。それを塾がやっているのです。


自分の権利を守ってほしいなら自分も他人の権利を尊重しなければなりません。仮にですが、学校の先生方が過去問配付を嫌がっているのならば、塾の先生はそれをすべきではありません。「人の嫌がることはやめましょう」なんて黒板の前で言いながら、自分自身が学校の先生に嫌がらせをしている。これが私が過去問配付に反対する4つめの理由です。



以上、昨日マックで隣に座った女子高生が話していた内容を文字起こししました。


尊敬する猫ギター先生のブログです。→​こちら





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最終更新日  2024年07月05日 17時36分22秒


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 ↑  塾の考え方は、上記「Freepage List」をご覧になってください。


「キャラベル(Caravel)」は、大航海時代に活躍した小型船です。操舵性が大変高く、逆風でも前進できるのが特長でした。

「キャラベル船」と同時期に活躍していた大型帆船「キャラック」は、大量の物品を積むことができたので、商業・貿易は大きく発展します。つまりビジネス向け・お金儲け向けの船です。しかし、多くの人員・スタッフが必要で、航行精度という面で弱点を抱えていました。とりわけ、強風は苦手で、逆風が吹くと転覆する可能性も大きかったと言われています。

そこで登場したのが「キャラベル」です。キャラベルは大変優れた操舵性とスピードを兼ね備えていました。必要な人員も少なくて済み、費用面でも大変優れていたと言われています。小型で小回りが利き、逆風の時でも風を味方につけ、精度の高い航海が可能になりました。「キャラベル」の登場により、大航海時代の活動範囲は大幅に広がっていき、数々の偉業が達成されました。


塾も船と同様です。

大型の塾には大型の塾なりの良いところがあります。しかし、規模が大きくなればなるほど、多くのスタッフが必要となり、授業料も高くなってしまいます。「生徒の学力アップのため」に各種講座や合宿を行うのではなく、「社員の賞与(ボーナス)のため」に特設ゼミや合宿を開催するという本末転倒な経営になってしまいます。

こうした大手塾が都立高校を受験をする上で必ずしも適している訳ではありません。
せっかく授業料の安い都立高校に入れたとしても、その前段階として、塾に何百万円ものお金をつぎ込んでいては、あまり意味がありません。

進学塾キャラベルは、教室の規模を最小限に抑え、高い操舵性を重視しております。また、塾長が指導にあたることにより、授業料も最小限に抑えています。キャラベルは、保護者の方が求めている操舵性と経済性を兼ね備えた進学塾です。

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