先日,小野小町の誕生の地といわれる,秋田県湯沢市雄勝に行ってきましたが,このとき,いろいろ調べていたら,小町伝説は,全国各地にあることを知りました。
(雄勝のドライブ日記は→こちら)
実は,調べる前から,よく通る道路に,気になる看板があったんです。
それは,「←小野小町の墓」っていうもの。
うちから,鳴子温泉やオニコウベに行くときに通る道路で,東北自動車道の古川インターを降りてすぐのところにあります。
気になってはいたけど,いつも素通りで,見に行ったことがなかったんですよね。
今日は,ぶらぶらドライブをしていて,この看板を見かけたので,行ってみました。
国道47号を,看板に従って左折してから,しばらくそのまま進みます。
途中,何のフォローもないので,かなり不安になりましたが,そのまま進んでいたら,たどり着きました。
1台分の駐車スペースがありますが,車通りも少ないので,別に路駐しても,問題なし!って感じがします(笑)
ちゃんと,駐車スペースに停めましたけどね。
←クリックすると大きな画像にリンクします。
あんまり,お墓って感じじゃなくて,観光用の墓碑のような感じがしました。
キレイに整備されていて,玉砂利がしいてあります。
向こうには,あずまやもあり,市民の憩いの場なのかしら…?
←これが,小野小町の墓碑らしいです。
←隣にあった,筆塚。
←この墓碑の説明書き(古川市教育委員会より)。
これには,こう書いてあります(すべて参照しています)。
小野小町は平安時代の女流歌人で,日本女性の代表的美人として有名である。
伝説によれば,「都での華やかな生活も寄る年波には勝てず,晩年故郷の秋田に帰る途中,ここ新田夜烏(にいだよがらす)の里に差しかかったころ,にわかに病に倒れてしまった。草庵を結んで氷室の薬師に百日参りして病気平癒の祈願をかけ,明日が満願成就という日に精根尽き果てて,路傍に倒れそのまま没してしまった。それを見た村人たちは淋しい最後をとげた小町をあわれんで手厚く葬り,墓碑を建立してその菩提を弔った。」という。
小野小町の生涯については謎が多く,出生の地や死亡した場所などについては,正確には把握されていない。
この墓も真偽のほどは今のところさだかではないが,往時の風流歌人が小町の墓を建て,多くの人が墓参し,歌を詠む習慣が近年まであったとも伝えられている。ある意味で,当時の古川地方の文芸的側面を物語る遺産とも考えられ,文化史的にも大変貴重なものである。
私は,秋田の雄勝が小町のふるさとであるという説の支持者なので,ここに小町の墓があるわけねぇべよ,と思っているのですが,この説明でも,真偽のほどは定かではないってことが書かれているので,可能性はかなり低いんだと思います。教育委員会も,自信ないみたいだし(笑)
でも,驚きなのが,百夜通いのような伝説が,ここにもあるってことですね。
深草少将様は出てこないようですが,こういうのって,どうやって伝わってくるのでしょうね。
最初から,ただのブログネタとして訪れた,この小野小町の墓ですが,行ってみてすぐ,嬉しくなることがあったんです。
それは,墓碑の周りに,芍薬(シャクヤク)が植えられていたことです。
ここの伝説には一切登場してこないのに,なぜか植えられている,芍薬の花。
小野小町が愛した花で,雄勝の小町伝説には欠かせない花です。
百夜通いで,深草少将様が小町のために,毎日1株ずつ,芍薬の花を植えるのです。
ついつい,わらび座ミュージカルの小野小町で,廉さん演じる少将様が,嬉しそうに芍薬を植えていくシーンを思い出してしまいました(^_^)
ここのお墓は,本物じゃないかもしれないけど,せめて本家小町伝説にあやかろうと,芍薬を植えたのでしょうか。その,粋な計らいが嬉しくなりました。
芍薬の季節にはまだ少し早く,咲いていたのは2輪だけ。堅いつぼみが多かったです。
雄勝の「小町まつり」は,芍薬が見頃を迎える6月上旬に行われるので,もうじきなんですけどね。見に行こうかな…。