『手紙 ~親愛なる子供たちへ~』
『手紙 ~親愛なる子供たちへ~』年老いた私がある日 今までの私と違っていたとしてもどうかそのままの私のことを理解して欲しい私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れてもあなたに色んなことを教えたように見守って欲しいあなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返してもその結果をどうかさえぎらずにうなずいて欲しいあなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末はいつも同じでも私の心を平和にしてくれた悲しいことではないんだ 消え去ってゆくように見える私の心へと 励ましのまなざしを向けて欲しい楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったりお風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しいあなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて嫌がるあなたとお風呂に入った懐かしい日のことを悲しいことではないんだ 旅立ちの前に準備をしている私に 祝福の祈りを捧げて欲しいいずれ歯も弱り 飲み込む事さえ出来なくなるかも知れない足も衰えて立ち上がる事すら出来なくなったらあなたが弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたようによろめく私にどうかあなたの手を握らせて欲しい私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しいあなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど私を理解して 支えてくれる心だけを持っていて欲しいきっとそれだけでそれだけで私には勇気がわいてくるのですあなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しいあなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びとあなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい私の子供たちへ 愛する子供たちへ(上記は、私が書いたものではありません)この手紙、何度も何度も読んだけど、涙なくして読めません。今私は、ご高齢の方と接するお仕事をしています。私の両親も、デイのお客様よりはまだまだ若いとは言えそれでも、久しぶりに会う両親には『随分歳をとったなぁ…』と感じることも正直増えてきました。手や顔のしわだったり、歩く姿だったり。自分も含め、絶対があるとしたらそれは、”人は必ず歳をとり、最期がある”と言う事。私ももう人生の折り返し地点を過ぎただろう。20代で若くしての出産と子育てだったら、きっと思わなかっただろう事も30代後半での出産と子育てとなると思いも違ってくる。三女のおむつ外しの時、おもらししてしまった羽結をつい叱ってしまった自分。叱りながらもふと思う。自分が年老いて、おもらししてしまったとしたら…こんな風に娘達にキツく叱られたら悲しいな…と。歳をとると子供に戻っていくと言うけれどまさに子育てしながら、年老いたときの自分と自分が子供たちに接する態度を重ねて考える。自分が歳をとったとき、なにも自分で出来なかった頃に戻っていくんだな、と。子供たちとも、あとどれだけ一緒にお風呂に入り、助けを求められて手を貸すのも何年かなぁ…。若いお母さんより、間違いなく一緒に居られる時間だって少ない。子供たちも4月からは、小学4年生、2年生、年少さんになる。。。まだまだ可愛い娘たち。この機会にじっくりと、娘たちへの接し方。それぞれの親のこと。自分自身を顧みてみないとな…と思うのです。