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テーマ:政治について(20093)
カテゴリ:政治
「第2の角栄だ」永田町を駆け巡った「アメリカにやられた!」
「小沢はアメリカにやられたんだ!」。小沢氏が辞任会見に臨んだ時、永田町にはそんな声が駆け巡った。インド洋での給油活動を停止した日本に、アメリカは激怒。小沢氏は、かつてアメリカという“虎の尾”を踏んだ故田中角栄の二の舞になったというのである。 インド洋での給油活動からの撤退――この一事を阻止しようとして失敗し、安倍総理は退陣。そして、福田政権も、逃走中だ。 そんな中で飛び出したのが自民党と民主党との“大連立構想”であり、それに乗ったのが小沢氏である。 しかし、危険極まりないその構想に、なぜ小沢氏は踏み入ったのだろうか。 「冷静沈着な普段の小沢氏なら、乗らなかったのではないか。会談に応じたこと自体が不可解だし、何か焦りがあったとしか思えない」 と、永田町関係者は口を揃える。そして、その焦りの原因を「アメリカ」と見る専門家は少なくないのだ。 「給油を一刻も早く再開しろ、というアメリカの要求は激しく、小沢氏の周辺にもさまざまな形の“風圧”があったのです」 と指摘するのは、政治評論家の森田実氏だ。 「その風圧を感じた小沢氏は、すでに8月にワシントンに自分と一心同体の人間を派遣して米高官と接触させていました。米のプレッシャーをひしひしと感じる中で、小沢氏に“米国恐怖症”が猛烈に芽生えていたのです。今回の会談に乗る素地が出てきたのはそこです。与党と政策合意して連立政権を組み、国連決議の下に自衛隊の海外派遣に道を開き、その上で給油を実現するという道を小沢氏は選んだのです」 が、参院選の余波が続く8月8日、小沢氏はシーファー駐日大使を党本部に呼び出し、45分間も待たせて報道陣に“晒し者”にした上で、テロ特措法への反対を表明していたはずである。 「非礼という以前に、あのやり方は社会人として問題がありますね。まさしく小沢氏の政治手法であり、パフォーマンス。大使は、小沢氏のダシに使われたのです」(中西輝政・京大教授) それほど強気な小沢氏が、本当にアメリカに恐怖など抱いたのだろうか。 可愛さ余って…… そこで思い出されるのがロッキード事件で失脚した故田中角栄だ、小沢氏の政界における“父”であり、“師匠”である。 「田中角栄元首相は、日中国交回復を契機に米国との同盟関係から多面外交を展開し、メジャーの石油利権にも手をかけた。総理の職を辞した2年後、米上院でロッキード社のコーチャン元副社長が告発証言し。角栄は、やがて逮捕されます。当時、米の虎の尾を踏んだ、といわれたのです」(司法ジャーナリストの鷲見一雄氏) 政治ジャーナリストの花岡信昭氏によると、 「夏頃から国務省が、小沢氏を改めて洗い直しているという情報が伝わってきていました。米は小沢一郎という政治家にかなり神経を尖らせていたのです。小沢氏の心理的なプレッシャーはきつかったと思います」 だが、かつてアメリカと小沢氏はこの上なく“蜜月”だった。 自民党関係者がいう。 「日本の有望な政治家を目立たぬように支援していくのが米国のやり方です。米国は、早くから小沢さんに注目していた。モトローラ社が発端となった89年の日米通信戦争の際、小沢さんが日本政府の特使として交渉に当たったことがあります。その時のタフ・ネゴシエーターぶりで、彼の評価はさらに高くなった。その後、小沢さんが持病の心臓病を悪化させた時、横田の米軍基地から軍用機でワシントンのべセスダ海軍病院に運んで治療させたという情報があったほどです。でも可愛さ余って憎さ百倍。今ではあらゆるチャンネルを使って、小沢潰しをはかっているという情報が流れています。特に山田洋行にからむ問題をアメリカはかなり掘り起こしていたようですね」 アメリカの怒り、あな恐ろし。 (引用終わり) 以上、「週刊新潮」(11月8日売)11月15日号(26-27ページ)からの該当記事の引用でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.12.30 18:07:32
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