【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

フリーページ

2004年03月28日
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
 家から電車で40分ほどの、県庁所在地のある市へ、義家先生の公園を聞きに行ってきた。

  
 見回すと、年齢層は、親世代が多く見られたので、

「ミーハーで来た人はいないだろう。良かった。」

とちょっと安心。


 そして、開演。

 義家先生登場。

 春休みというのに、九州で4,5箇所、神奈川、名古屋と、何箇所も講演に出かけているという。

 でも彼は、その忙しさを、

「今までの自分がしてきたことの償いであり、恩返しとして考えている。

 どんなに忙しくても頑張れる」


 という言葉で表現していた。

 
 彼が話し始めてから5分近く、

 前の方の座席で、カメラや携帯のフラッシュが、ずっと続き、

 私は正直言って
 
「お前ら今日何しに来たんだ!

 話を聞きに来たんじゃないのか。

 そんなことしてて、話を集中して聞けるのかよ。」


と、心の中は半分切れそうだった。


 多分義家先生もそうだっただろう。

で、彼は、

「今から真剣に語りますので、

カメラや携帯の撮影はやめてください」


と、きちんと言って下さった。


 「さすが! ありがとう!」

の気持ちで一杯になったと同時に、

 きっと私が心の中で思っていたことと同じことを思われたんだろうなあ。

 この地方は、ろくでもない人間が多いと思われてしまったかもしれない。

 私がやった訳でもないのに、「ごめんなさい」ってあやまりたくなった。


 さて、講演の内容だが、

 教育に対する彼の考え方は、

講演よりも彼の著書の方が具体的に書かれている。

だから、彼の著書を読んだ方がいい。


 
 今回の彼の講演で、一番大きく得たものは、


「問題行動を起こす子供の大きな原因は、幼少の原体験にある」


という事が分かったことだ。

 
 以前から、

「子供の問題は親に対するサイン」
と思ってきた自分の考えは間違いではなかったと分かった。


 彼は、自分が生まれてすぐ、

実の母親が離婚の為、

義家家から追い出されている。

 実の母親を知らず、祖父母に育てられたようなものだという。

 後に、父が再婚をし、腹違いの弟が生まれた。

父の膝の上には、父がお気に入りと感じられた自分の姉が、

義理の母の胸には、乳を飲む腹違いの弟。

自分の居場所が親の中にはないように感じられた。

 姉が少し大きくなり、

父の膝が開いた時、

父が「ひろゆき、おいで」といった時、

彼は、父の膝に行きたい気持ちが一杯だったのに、

自分の都合で子供に接しようとする父親が嫌だったのだろう、

「おじいちゃんたちのほうがいい」

と言ったそうだ。

「いやだ」と答えることで、自分の存在感をアピールしていたのだろう。


 小学校入学。

彼の誕生日は3月31日。

小学校低学年のうちは、1年の差は非常に大きい。

 彼は、1時間席にじっとしていることができないことも多く、先生に叱られることも多かった。

 そして、体の小さく、勉強もできない弘介少年は、友達に虐められた。

 辛くて、先生に相談した。

 そうしたら、

「まずあなたの態度をみなおしなさい」

と、虐められる側にも問題があるような言い方をされた。

 それで、先生は自分を助けてくれないと思った。


 父に相談した。

そうしたら、

「おまえがそんな弱い人間だったとは思わなかった」

と、プライドの高い父は答えた。

 父も自分を助けてくれないと思った。

これで、完全に大人不信になってしまったようだ。


 ある日、あまりに虐めがひどくて、

弘介少年は、いすを振り回して、

虐めのリーダーに大怪我をさせる。


 そうしたら、次の日から虐めがぴたりとやんだ。

 その時から、「力が強いものが勝つんだ」という、ゆがんだ価値観が彼を支配するようになってしまった。

 小学校卒業する頃から、完全に不良少年として生きることになってしまった。

 でもこのままいったら、自分はいつか破滅するという事は感じていた。

 でも、どうすることもできなかった。


 そして、保護施設から、16歳で里親さんの所で世話になっているとき、

自分はこれからどうしたらいいのかずっと考えていた。

 で、行き着くところ、「学校」という事しか浮かばなかった。


 ある日、余市高校の記事を里親さんに見せられる。

その時彼は、

「そんなもの見せられたら、行きたくなっちゃうだろうが。

誰が金を出すんだ。

私立高校なんて、父親が金を出す訳ないだろう」

と思った。

 里親さんは、「お父さんに頼んでやる」と言った。


 父親の答えは「OK」だった。
その頃、父の会社が倒産しかけで、お金もないのに、
借金をして、行かせてくれたそうだ。

(後日、彼が父親にその時の心境を聞いたら、
「これで厄介払いができる」と思って、借金をしてでも行かせたかったのだそうだ。)

 
 余市に行った後の話は、彼の著書「ヤンキー母校に生きる」にのっているので、省略するが、

 
 今、彼の父親は、去年の4月に脳梗塞で倒れ、植物状態だという。

 が、彼が倒れる前に

義家先生の子供(去年5月に誕生)に、「太郎」がつく名前をつけて欲しいな

 とぽろっといわれたそうだ。

 で、彼は子供に『優太郎』と名づけた。


 立会い出産のエピソードも彼らしい話だった。

 ろくに勉強もせず(そんな時間はなかったのだろうが)立ち会った為に、

 必要もないのに何回もナースコールを鳴らしたり、

看護師さんにきれたりで、

最後には、ナースセンターに呼ばれて、

婦長さん、ナース、担当医に囲まれ、

「これ以上問題をおこされるなら、

立会い出産をお断りします」

と言われたとか。


 でも、この長男誕生で、

彼は、ずっと見つからなかった答えを見つけたそうだ。


 今は、希望や夢が見つけにくい世の中だ。

いったい、何が希望なのか、ずっとさがしていたそうだ。

そして見つかった答えが、


「子供そのものが希望だ」


ということ。


 最後に彼が二つ言葉を送ってくれた。
二つも覚え切れなかったので、一つだけ紹介する。



『希望は自分から逃げない。

 自分が希望から逃げているんだ』



彼の講演終了後、

 主催者の計らいで、3月31日の誕生日のお祝いとして、
会場内全員でハッピーバースデーを歌い、
花束を贈った。

 これで少しは、この地方にきて良かったって思ってもらえるかなあ。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2004年03月28日 10時55分25秒
コメント(1) | コメントを書く


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

ハイビー★*2*

ハイビー★*2*

お気に入りブログ

まだ登録されていません

コメント新着


© Rakuten Group, Inc.