|
カテゴリ:カテゴリ未分類
大和公社と称する企業体は東京都渋谷区上通一丁目五番地 青山学院すぐ隣の鉄筋コンクリート二階建て八軒を拠点として終戦後まもなく 塾顧問三浦義一氏の手より 長谷川君たちも議にあずかって創設されたものである この建物は もと青山学院の所有であったが 戦時中強制疎開処分によって 東京都の管理下に入り 二十年五月二十五日の空襲により半焼けビルになっていたものを同年六月の候 時の内務大臣安倍源基氏の要請により国民義勇隊活動の拠点として三浦氏が西尾都長官から無条件借用をし 修理使用していたものであった
占領下の民族派 影山正治著 註 青山学院 笹森順造という右翼っぽい学長さんがいた関係でしょうか 長谷川君 長谷川幸勇 後の大東塾塾長 国民義勇隊 大政翼賛会が解散後にできた組織 大和公社という企業体が 終戦後設立され それにカモフラージュとして大東塾サイドが合流した形になっていたのですが 影山正治が二十一年五月に帰国後 彼が専務理事になって 大和公社が実質的に 大東塾になったようです 義一先生がジローさんと 渋谷に事務所を持っていたのも このあたりの関わりでしょうかね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年10月27日 09時13分38秒
コメント(0) | コメントを書く |
|