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カテゴリ:会津ころり三観音
【会津ころり三観音】
山号:普門山(ふもんざん) 宗派:曹洞宗 本尊:十一面観世音菩薩 巡拝日:2008年10月12日 ----------------------------------------------------------------- 立木観音を後にし、坂下(ばんげ)町の中心部を抜け、会津盆地を南下する。 坂下を過ぎた頃に空腹を感じ、ラーメンでも食べようと店を探すが、 やがて辺りは一面の田園風景となり、食堂の影も見当たらない。 こんなことなら坂下で昼ごはんにすればよかった、あるいは戻ろうか、 などと考えているうちに、次の目的地・中田観音に到着してしまった。 車で15分ほどだっただろうか。 俗に中田観音と呼ばれている弘安寺は、東向きに、 つまり会津若松方面を向いて建っている。 地図を見ると、阿賀川の西岸から伸びる一本道が、そのまま参道に繋がっている。 この道はきっと、まさに中田観音への参拝のために開かれた道なのだろう。 境内の周辺は現在は根岸という集落になっているが、 かつてはこの集落一帯が寺域であったと考えていいのだと思う。 集落に入って200mほど進んだところに瓦葺の仁王門が建っていて、 ここから先が現在の境内ということになる。 立木観音の仁王門と同様、田舎作りの簡素な一層の門だ。 仁王門の正面には大きなわらじが掛けられている。 そういえば、立木観音の仁王門にも、同じようなわらじか掛けられていた。 昔の参拝者が傷んだわらじを門に掛けて帰って行ったことから、 仁王様は足腰にご利益があるとして掛けられるようになったのでは、 とは、仁王門をくぐって右手にあるお土産屋のお母さんの言葉。 しかし、 「くわしいごどはお寺の人でねぇどわがんなくてぇ」 とやさしく逃げられた。 真意のほどはわからないけれど、門柱には、 願い事が書かれた小さなわらじがいくつも吊るされていた。 仁王門をくぐると、観音堂はもう目の前に聳えている。 正面に軒唐破風の向拝を配した二層の入母屋造り。屋根の反りがとても美しい。 これほど屋根の高いお堂なのだから、ご本尊もさぞ大きく立派なのだろうと、 立木観音を見たあとだけに余計に期待を膨らませながら、向拝へ進む。 しかし、なんと堂内の厨子は閉ざされていて、ご本尊を拝むことはできなかった。 残念極まりなかったけれど、厨子の扉の向こうのご本尊をイメージしながら拝む。 案内によれば、ご本尊の十一面観世音は体長1.85m。 1274年の鋳造とされ、国指定重要文化財。 木造仏ではなく金剛仏(銅製か?)であるというのがミソである。 また、脇侍が不動明王と地蔵菩薩という並びも珍しく、こちらも金剛製。 ご本尊と同時期の鋳造として、この二体も国指定重要文化財である。 知れば知るほど、この計3体の姿を見れないことが悔しくなってくる。 まぁ、御開帳の際にまた来らんしょ、ということなんだろう。 さて、厨子の手前に、1枚の古いモノクロ写真が掲げられている。 男性2人が直立で、老女1人が膝まづいて、堂内の観音さまを一心に拝んでいる。 中央に写っているのは、野口英世。老女は彼の母・シカである。 シカは、毎月17日になるとこのお堂へ歩いてやってきて、 ひと晩お堂にこもってお参りをするほど、この観音さまを信仰していたという。 英世の実家は猪苗代湖の北岸。その道のりは、なんと約40km。 それを毎月歩いてやって来ては、息子の立身出世を祈っていたというのだ。 写真は、1915年、世界的な細菌学者となったのちに一時帰国した英世が、 母や恩師を連れ立って出世のお礼参りをした際の1枚だ↓。 http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/j/oshirase/n_i/20050101/n_i_ijin.htm 福島県の子供たちはほぼ間違いなく小学校時代に野口英世の伝記を読まされるし、 学習旅行で当然のように野口英世の生家を見学するから、 まぁこれらは自分にとっては周知の事実だったのだけれど、 あらためてこうした写真を目の当たりにすると、 子を思う母の心というのは本当に深いのだなあと、 当たり前のことに今さら感銘する。 なのにどうして、当たり前であるはずのこうしたことが覆される事件が、 この世ではいとも簡単に起こってしまうのだろうか。 さて、ご本尊を目にすることはできなかったけれど、 向拝部から右手に回り込むと、ほんの少し堂内へ入ることができる。 そこにあるのが、だきつき柱。立木観音のお堂にもあった心願成就の柱である。 靴を脱いで堂内へ入り、目を閉じ念じながら抱きつく。 堂内から出て、向拝脇でご朱印をいただき、仁王門方面へ戻る。 その左手に小さな池があり、その脇に弁天堂が建っている。 いや、建っているというと少し語弊がある。 実際には鉄筋コンクリートの覆い堂が建っていて、 その中に、木造の小ぶりな弁天堂がスポッと収められているのだ。 よく見るとこの弁天堂。いわゆる“お堂”というには変わった形をしている。 それもそのはず、この弁天堂はかつて観音堂の厨子だったもので、 江戸時代に観音堂から出され、弁天堂として第二の人生(?)を送っているのだ。 ご本尊とほぼ同時期の建立とされ、国指定重要文化財。 門前には、何軒かの土産物屋があって、 往時の賑わいを想像させてくれる。 この道を英世も歩いたのだなぁ、このお堂を英世も見上げたのだなぁと、 100年にならんとする時代の流れに思いを馳せながら、 次の目的地へと向かった。 普門山弘安寺 福島県大沼郡会津美里町米田字堂ノ後甲147 tel.0242-78-2131 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008年10月28日 23時48分44秒
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