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カテゴリ:エチオピア国内旅行
シミエン山国立公園の後、ファラシャビレッジを訪れた。
ここでは、陶芸センターのようなところを訪れた。 陶芸品の製造・販売の他、陶芸の訓練も行っている。 かつて協力隊員がここの人達に陶芸を教え、以降JICAが継続的に援助してきており、しっかり産業として根付いているところに感心した。 案内してくれた女性は、かつて茨城県の笠間市で10ヶ月ほど研修を受けたことがあるそうで、片言の日本語を話すことができる。 ちょうど僕がつくばで大学生をしていた頃で、つくばにも何度か来たそうだ。 ファラシャビレッジの「ファラシャ」というのは、ユダヤ教徒のこと。 かつてここはユダヤ教徒の住む村だったのだが、今はほとんど残っていない。 1980年代から90年代にかけて、内戦や飢餓で苦しむエチオピアのユダヤ教徒を見かねたイスラエル政府が、イスラエルに連れて行ってしまったからだ。 ユダヤ教徒と言ってもエチオピアのユダヤ教徒の場合、完全にエチオピア人と同化していて肌は黒い。 その教義も古くからのユダヤ教の教義を守り続けており、現代のユダヤ教の教義と必ずしも一致しない。 だからエチオピアのユダヤ教徒はイスラエルに移住した後、内戦や飢餓の苦しみから逃れられた代わりに、他のユダヤ教徒からの差別に苦しんでいるそうだ。 エチオピアでのユダヤ教の歴史は古い。 バビロン捕囚の前後、バビロニアの脅威から逃れてきたユダヤ人らがナイル川を逆上り、ゴンダール周辺に定住したそうだ。 そこからユダヤ教がエチオピア北部に広まり、その頃のエチオピアはユダヤ教の国だったようだ。 その後、キリスト教がエチオピアに広まるにつれ、ユダヤ教徒は迫害されて徐々に数が少なくなったものの、現在のエチオピア正教にもユダヤ教の影響を見ることができる。 こうした経緯から、ユダヤ人の建国地として、今のイスラエルの他にエチオピアも候補地として上がっていたそうだ。 エルサレムでない土地ではユダヤ人が到底納得しなかったとは思うが、もしイスラエルでなくエチオピアがユダヤ人の国として選ばれていたら、歴史は大きく変わっていただろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年04月28日 23時15分53秒
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