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カテゴリ:メケレ(任地)にて
今日も、お隣のヨルガの両親宅で、宴会が開かれている。
僕は参加しないで、日本から来た友人とともに部屋でのんびり過ごしている。 最近は結婚式があった関係で、ヨルガの部屋には常に誰かがいて、飲みながら食べながら、おしゃべりしている。 朝からティブス(焼肉)を食わされ、昼からタッラ(地ビール)やタッジ(ハチミツ酒)を飲まされ、夜は言わずもがな。 「疲れている、忙しい、もう食えない、もう飲めない」などと言って断ろうとしても、「Please. This is Ethiopian culture.」などと言われ、なかなか断りきれない。 基本的にエチオピア人は、部屋で一人で過ごすことは退屈なことだと考えている。 お金のある人でも、部屋で静かに本を読んだり映画を観たり、ということはあまりしない。 それよりもやっぱり、家族や友人らと一緒におしゃべりしながら飲み食いするのが楽しいようだ。 もちろん僕も、みんなでワイワイというのは好きなのだが、朝から晩までが何日も続くとさすがに疲れるし、一人の時間だって欲しい。 その辺りは日本人とエチオピア人との間にある価値観の違いなのだが、みんなが集まっているのに自分一人だけ部屋に篭っている訳にもいかず、難しい。 今日、MITの学生(男)から手紙をもらった。 「夏休みで2ヶ月間会えなくて寂しかった」とかなんとか書いてあった。 夏休み中も何度も電話がかかってきた。 ・・・ちょっと気持ち悪い。 彼には彼女がいるし、エチオピアでは宗教的にも法律的にも同性愛が厳しく禁じられているから、ゲイではないだろう。 男同士が手をつなぐことが普通なこの国では、これくらいの表現もむしろ普通のことなのかもしれない。 彼にとって僕は唯一の外国人の友人であって特別な存在なのかもしれないが、正直なところ、僕にとって彼はたくさんいるエチオピア人の友人のうちの一人に過ぎない。 講師と学生という関係を考えれば、友人と言えるのかも疑わしい。 彼らとの交流はエチオピアに対する理解を深める上でも良い機会でもある。 エチオピアで暮らしている以上、こちらがある程度彼らの価値観に合わせるようにしなければいけないだろう。 が、合わせてばかりいると疲れてしまう。 この辺りのバランスの取り方が、すごく難しい。 路上にいる物乞いやドリエ(不良)は別として、普段の付き合いの中ではエチオピア人には本当に良くしてもらっている。 僕の周囲には金持ちが多いのは事実だが、僕より収入の少ない人でも、おごってくれたり食事に呼んでくれたりすることが多い。 良くしてもらっているからこそ、余計に付き合い方が難しい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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