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カテゴリ:インド一般・時事
我が家の近所には、Chirec Public Schoolという学校があります。 Chirecはこの近辺で名門とされる学校で、幼稚園から高校まであるようです。 Publicと言っても公立はなく、イギリスで言うところのPublic Schoolで、私立です。 ボスの子供が今年度からChirecの小学校に入学しました。 親の面談もあるなど入学に至るまでも簡単でないのですが、学費も、小学校で年1ラック(20万円弱)という、インドではかなりの高額です。 ですがその分、教育環境は整っているのでしょう。 インドの中産階級以上は、幼稚園や小学校の段階から競って子供を私立の名門校に行かせます。 日本で暮らすインド人の中には、子供の教育を心配する人が少なくありません。 インターナショナルスクールであれば言葉の問題はある程度解決するとしても、理数科の教育レベルが不安だそうです。 日本の学校の教育レベルが低いのではなく、インドの名門私立の教育レベルが高いのでしょう。 僕の住むアパートの前の風景です。 まだ開発が始まって間もない地区で、中産層向けのアパートやマンションが並ぶ一方、建築現場で働く貧しい人達が現場の近くでテントを張って暮らしています。 要するにお金のある人とない人が同居する地区なのですが、互いに交流することはほとんどありません。 裕福な家庭の子供と貧しい家庭の子供が一緒に遊んでいる光景を見たこともありません。 お金のある人は幼稚園や小学校から有名私立に通い、大学を出て、有名企業や政府機関などに就職し、お金のある人同士で結婚します。 お金のある人は公立の学校に通ったりそもそも学校に行かなかったりで、日銭を稼ぐような職に就き、お金のない人同士で結婚します。 一生において互いがまともに交わることはなく、近くに住みながら全く別の世界で暮らす人のようです。 お金のあるなしや勉強のできるできないに関係なく、国籍・民族・宗教・職業・性別に関係なく、色々な人と交わることは人生経験として意味のあることだと思うのですが、インドは様々な面で格差がありすぎて、それは難しいのかもしれません。 カーストが直接的に格差に結びついている訳ではありません。 大学入試や公務員採用などにおいて下位カーストを優遇する措置がありますし、IT技術者のようにかつてはなかった職業においてはカーストはあまり関係ありません。 その結果、下位カーストでも裕福になる人も出てきますし、逆にその煽りで没落する上位カーストもいます。 ただ、カーストの伝統が間接的に、格差を許容する雰囲気を作り出しているような気もします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年08月06日 18時00分48秒
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