カテゴリ:R.F.L
今日は第二回横浜会議でした。
今日は本当に充実した時間を過ごすことが出来ました。 今日はこれからどうするかについてという事を話し合ってきました。 いつもなのですが、葉っぱさんそしてシュウさんの行動力、 そして一つ一つの意見の的確さに頭が下がります。 そしていつも僕はそこで僕には何が出来るのかと考えているのですが、 なかなか見つけられなくて、自分に苛立ちを感じるとともに同じ立場に居ることが恥ずかしくなってきます・・・ もっと勉強して、もっと行動をしなきゃいけないですね!! 僕はR.F.Lを実現させたいからあの場に居るのに、 このままじゃ何も出来ないのではないかって感じてます。 次の会議までにさらに勉強をしますから次もよろしくお願いします!!! さてさて、いろいろと考えていて「当たり前」ってなんだろうって考えたのでこんな詩を書いてみました。 朝起きて朝ごはんを食べるという当たり前。 学校に行って勉強したり友達と楽しく過ごすという当たり前。 家族と一緒に夕食を食べるという当たり前。 「おやすみなさい」と言って眠りに付く当たり前。 いつも当たり前のようにしている生活だけど、 本当にどれもいつ崩れてもおかしくないことなんだよ。 だから、当たり前だと思えるこの時間は、 本当に幸せな時間なんだよね。 「当たり前」って何だろうって感じたときにもう一つ、「生きることと死ぬこと」という考えが頭に出てきました。 医療が発達してなかったころは、病院など無いから治療などはどうしていたのだろうって思ったのです。 きっとその時代は、瀕死の人は病院ではなく家で家族に見取られながら息を引き取っていったのではないのかと思ったのです。 しかし、今は救急車が来て薬によって生きながらえさせようとする。 悪いとは思わないけどそれは患者が本当に望んだこと!? 助けられる命はもちろん助けるべき。 だけど、そうじゃない人たちも中にはいると思うんです・・・ そういう人達はあの固いストレッチャーに載せられて、寒い中で息を引き取っていくんですか・・・? 僕は、家族に見守られなれ親しんだ暖かい布団でゆっくり息を引き取るのを見守られているのもいいのではないのかと思うのです・・・ ・・・もちろん無理だって事は分かってますよ。 これが理想だと思っていても無理なんですよね・・・ さてさて、こんなことを考えていたのでもう一つ詩を。 昔は「生」を選ぶ権利は許されていなかったが、 「死」を選ぶ権利は許されていた。 今は「生」を選ぶ権利は許されているが、 「死」を選ぶ権利は許されていない。 権利=自由とかですかね。 実は書いた後、この詩はあまりよくないものだって思ったんですよね(@_@;) それでも見てもらいたくて載せちゃいました(>_<) もし、何か感じてくれたら、そして何か考えたことがあったらぜひぜひコメントください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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