カテゴリ:演奏会(2011年)
大植&大フィルの東京定期を聴いてきました。昨年のR.シュトラウスの名演は記憶に新しいところです。今年はショスタコーヴィチとブルックナーという、ちょっと変わった組み合わせのプログラムでした。良かったです! 2月20日 サントリーホール ショスタコーヴィチ:交響曲第9番 ショスタコーヴィチの9番は、僕はバルシャイ の全集のCD以外にはあまり聴いたことがなく、詳しいことはわかりませんが、第二・第四の緩徐楽章が、大植さんらしいじっくりとした足取りで、フルートや ファゴットのソロもすばらしかったです。また第一・第三・第五の早い楽章は、かなり難しい曲だと思いますが、オケはまったく乱れることなく、かつ良く鳴っていて、緊張感がすこぶる高く、引き締まった演奏でした。最後も熱狂的に浮かれるというふうにはならず、地面にがっしり足がついた、厳しいショスタコ9番でした。ブラボーです。 そして休憩後ブルックナーの9番。2008年7月、大植&大フィルによる朝比奈隆生誕100周年の記念演奏会をシンフォニーホールで聴いたことが、思い出されます。ロビーに朝比奈隆が最初にブルックナー9番を振ったときに使った手書き!のスコアが展示されていたりして、特別な雰囲気の中でのすばらしい演奏会でした。今回はどういう演奏になるのでしょうか。 弦は両翼配置で、16-14-12-10-8。コントラバスは舞台奥に横一列に並びます。金管軍団は上手側の奥にまとまって、その手前にティンパニです。いよいよ演奏が始まりました。第一楽章から、高い緊張感で、思わず背筋が伸びます。総休止をゆったりとって、音楽は悠然とすすんでいきます。途中、テンポを急に上げるところが何箇所かあり(第一主題が初登場する前に盛り上がっていくところとか、コーダの最後の部分など)、それらは僕の好むテンポ設定とは異なりましたが、音楽に隙がないので、それほど大きな違和感を感じません。これが大植流のブルックナー。 そして第二楽章は、さらにすごかった。弦も、管も、打も、ただならない気迫です。スケルツォの節目節目で、ジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャン!と終わって総休止になりますね、ともかく音に力と緊張があってかつ美しいので、その余韻がホールに残って消えていく、そういうところがものすごく美しくて、鳥肌が立ちます。この第二楽章は、一分の隙もない凄いものでした。 朝比奈最晩年のブルックナーも、実に若々しくて力が漲っていたことが昨日のことのように思い出されます。この力の漲り、まさに大植さんのエネルギーと大フィルの伝統がひとつになって生まれているのでしょう。 第三楽章も、そのまま緊張が緩むことなく、深い音楽が続きます。大植さんの音楽を聴く聴衆の雰囲気を、大阪と東京とで比べると、大阪の暖かい一体感と比べて、東京のほうは残念ながら冷めている雰囲気を感ずることが時々ありますが、きょうは音楽のあまりの充実ぶりに、聴衆の気持ちも張り詰めていてしんと静まりかえっていて、オケの楽譜をめくる小さな音がはっきりと聞こえてく るような、すごいことになっていました。 第三楽章後半の、弦楽合奏による祈りのようなコラール風の下降音型が出てくるところ、ここは2008年の演奏でもぐっとテンポを落として大植ブル9の最大の聴きどころのひとつともいえる感動がありましたが、きょうもじっくりと歌われ、すばらしかったです。 ワーグナーチューバがところどころわずかに不安定なところはありましたが、最後の和音は完全に決まって、この稀有な9番演奏は終結し、静寂にかえっていきました。大植さんは最後両腕を体に抱きしめるような姿勢で終わり、その後しばらくして大植さんの両手が完全にさがりきって初めて、拍手が徐々にわきおこりはじめました。 すばらしいブルックナーでした。今まさに、大植さん、大フィルとも、心技体が充実しきっているということ。それをまざまざと実感する、気迫に満ち、すこぶる充実したブルックナーでした。これまで僕が聴いた大植&大フィルのブルックナーは、2006年東京定期の7番、2008年の朝比奈隆生誕 100周年記念演奏会の9番、そして今回です。回を追うごとに力が増し、完成度が高くなっているように思います。 大植さんという音楽家からあふれ出る大きなエネルギー、それをがっしりと受け止め充実の響きを奏でる大フィル。大植&大フィル、またひとつの到達点を極めました。朝比奈御大も、天国からさぞや祝福していることでありましょう。 すばらしいブルックナーを、ありがとうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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