古賀茂明さんが9月26日、ついに経産省を辞めました。残念です。氏のプロフィールを書くと、
東大卒後、通産省(現経産省)に入省。
2008年国家公務員制度改革推進本部事務局の審議官に就任し、急進的な改革を次々と提議、「改革派の旗手」として有名になる。
省益を超えた政策を発信し、公務員制度改革の必要性を訴え続けた。
2009年9月、民主党が政権をとり、古賀氏は仙石由人行政刷新担当大臣から大臣補佐官就任を要請されるにいたった。
しかし2009年末、突如として古賀氏は経産省に戻され、大臣官房付の閑職に据え置かれ、その後仕事を与えられない状態が続いた。
今年6月には同省幹部から退職を進められていた。氏は海江田経産省大臣(当時)、そして枝野経産省大臣に仕事への意欲をアピールしたが受け入れられず、辞職にいたった。
古賀さんが書いた講談社の「日本中枢の崩壊」は、買ってはみたものの、ぶ厚さにひるんで、まだ読んでません(^^;)が、PHP新書「官僚の責任」を読みました。この本、実に明快に現在の日本の官僚の問題点が記されています。
たとえば、天下りについて。同書第二章の一部、天下りはなぜ悪なのか(56-59ページ)から引用してみます。(” ”が引用部分です。)
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”誤解を恐れずに言えば、私自身は、天下りというシステムは必ずしも否定されるものではないと考えている。”
”広義にとらえれば、それは一つの転職であり、その人間が持っている知識やナウハウ、技術を活かすことにもつながる。それが国民のためになれば、決して悪いことではない。
ところが現実にはそうなっていない。だから天下りは悪であり、禁止されなければならないのである。
禁止されなければならない理由の第一は、キャリア官僚の独法や公益法人への天下りが、霞ヶ関の人事ローテーションにがっちり組み込まれていることにある。このため、毎年のようにそのポストを退職者にあてがえるよう、ポストの確保と維持が至上命題となっており、天下った人間にもそれなりの仕事が必要ということで、無駄な仕事と予算がどんどんつくられてしまう。さらに、受け皿が足りない場合は、適当な理屈をつけて新たな団体を立ち上げるようになる。また、民間企業に天下る場合、その役人が優秀な人材であればいいのだが、現実には必ずしもそうではないわけで、一種の体のいい人員整理といった側面が強い。 そういう、企業にとって不必要な人間を受け入れるためには、それなりの見返りやメリットがなければならない。そこで、その企業に対していわば阿吽の呼吸で 便宜を図るようになる。これがもう一つの理由である。”
”要するに、省庁では活用する場のなくなった知恵やナウハウを、国民生活を向上 させ るべく独法や民間などで再利用するために天下りがあるのでなく、ひたすら自分たちの生活を守るためにあり、しかも無能な人たちに高給を保障するために税金 が使われる。だからこそ天下りは悪であり、禁止しなければならないのだ。”
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それから、利権について。同書第三章の一部、利権拡大が「目に見える成果」(133-135ページ)を要約・引用してみます。(” ”が引用部分です。)
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官僚の主な仕事は、政策を実行するための法律を作り、運用することである。それなら官僚は、その政策が社会に及ぼした効果で、評価されるのだろうか。否。
ある政策を実行した結果、社会になにがしかの効果が出たとしても、その効果が本当にその政策のためなのかどうかを評価すること自体が難しい。そもそもそう した政策・法律の策定・運用には短くても二年はかかるし、具体的な効果が出るにはさらに何年も先になる。したがって、普通1~2年で異動を繰り返していく 官僚が業績としてアピールするには、もっと「目に見える官僚のための成果」を出すことが必要になる。そのために彼らはどうするか。
”いちばん手っ取り早いのが、役所の利益権限をどれだけ拡大したかということになってしまう。だから、法律を作ると同時に予算を取り、関連団体を作る。そうすることで、「私は天下りポストを一つ作りました。」、あるいは「数百億もの予算を取ってき て、民間に配分する権限をこれだけ拡大しました。」と成果を公言できる。役人にとっては、これが民間企業における営業成績になるわけだ。言うなれば、利権 が官僚にとっての「売り上げ」なのである。”
かくて、法律作成の作業にさいしては、
”すなわち、権限と予算と天下りポスト。
この3点セットをつけることを自動的に考えるように思考回路が形成されているのだ。
たとえば何か国民を巻き込む事故が起こったりしたとき、「今後それを防ぐためにこうします」と政策が発表されると、一般の人は「国が支援してくれるのか。厳しく取り締まってくれるんだな」と思うだろうが、官僚の感覚ではこうなる。
「ああ、またナントカ協会をつくって、金をバラまくのだな・・・・・」”
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なるほど。なんとなくわかっているようでわからなかった天下りや利権って、そういうことなのか、とわかりました。
しかも、官僚がこういった権限拡大を目指すと、結局のところ、異なる省同士で権限の争いになり、「国のため」でなく「自分の属する省のため」、すなわち「国益」でなくて「省益」のために動く、という発想になってしまう、ということ。
日本全体のことは考えない、ともかく自分の省の力を拡げ、ポストを増やし、自分の同僚や後輩が高い地位と高給をとっていい生活ができればいい。
・・・これでは本当に日本は滅びます。こういう方面にまったく疎かった僕でも、とてもわかりやすく、いまさらながら、危機感がつのります。
ではどうすればいいのか。ただ単に公務員の数を減らし、給料を下げるだけではだめだ、と古賀氏は言っています。
官僚が、国民のことを考えて働いたら報われず、省庁のために知恵を絞ったら高い評価を得られる今の構造が問題、それを変えなくてはならない。それが真の公務員制度改革だ、と古賀氏は指摘し、そのために具体的な提言をしています。
古賀氏によれば、少し前までは経産省自体にも、改革に向かう方向を許すだけの度量があったということです。だからこそ古賀氏がその方向で活動をできたわけですね。だがいつしか、守旧派、つまり急進的な改革をのぞまない人たちが経産省の主流になっていき、ついに古賀氏は辞職に追い込まれてしまいました。
原子力発電をこれからも続けるというのは、日本全体のことを考えたらありえない選択です。しかし、経産省の守旧派官僚を中心とした原子力ムラの人々にとって は、日本はどうなっても良く、自分たちの巨大利権のかたまりである原子力発電をなんとか続けたいと躍起になっているんですね。
古賀氏のような方こそ、本来の官僚の世界の中で活躍することが、もっとも有効に力を発揮できたことでしょう。その意味で残念です。
古賀氏が経産省を辞職した当日(9月26日)夜の「たけしのテレビタックル」に出演されていたのを見ました。再就職先は未定だが、改革派の政治家や首長に対して、政策立案のお手伝いをしたい、と話されていました。古賀氏のこれからの活躍に、大きく期待したいです!
古賀茂明著 「官僚の責任」
PHP選書745
2011年7月29日第一版第一刷発行