オッコ・カム指揮、ラハティ響のシベリウスチクルスを聴きました。
11月26日 交響曲第1番、第2番
11月27日 交響曲第3番、ヴァイオリン協奏曲、交響曲第4番
11月29日 交響曲第5番、第6番、第7番
東京オペラシティ コンサートホール
初日の1番、2番。細かいことはあまり気にせず、やや速めのテンポでぐいぐいと推進していく、明るく力強いシベリウスでした。カムの歌心も素敵で、僕は満足し、感動しました。アンコールは、かなりマイナーな、知らない曲を3曲演奏してくれました。聴衆もかなり盛り上がり、オケが引っ込んだ後にも拍手が続きカムの呼び戻しがありました。
おおらかで力強くまっすぐな歌に感動し、いい演奏会に来ることができたという幸福感を抱きました。しかしその一方で、音楽表現の繊細さには乏しかったため、二日目三日目はどうなるんだろうという懸念も抱きながら、帰路に着きました。
二日目の3番、4番。昨日と同じ方向性の演奏でした。3番は、7曲中でカムがもっとも好きな曲だそうです。曲調的にも一応1,2番の延長線上にあるので、初日と同じようにあまり違和感なく聴けました。しかしヴァイオリン協奏曲は、ソリスト(フィンランドの人)に余裕がなく、聴くのがちょっとしんどい演奏でした。続く4番も、(もともとこの曲をあまり良くわからない僕が言う資格はありませんけれど)、今一つまとまらない感がありました。この曲でソロで活躍するチェロの首席の方は、美音ではあるのですが何かもう一つ淡々としていて、カムさんの歌わせたい方向と、ちょとずれがあるように感じました。ということで個人的には二日目の満足度はかなり後退しました。
それでも、この日も聴衆の盛り上がりは相当なものでした。アンコールはやはり3曲で、最初が悲しきワルツ、2曲目がクリスチャン2世からミュゼット、3曲目はかなりマイナーな曲でした。二日目にも、カムの呼び戻しが1回ありました。
ここまで初日も二日目も、アンコール3曲。初日のアンコールはすべてマイナーな曲で、二日目のアンコールには有名曲を一つ入れてきました、この流れですから、二日目が終わった時点で、「最終日のアンコールも3曲で、きっと1曲目はアンダンテ・フェスティーボで、2曲目に何かやって、最後はフインランディアで締めるに違いないだろう」と確信しました。
いよいよ最終日の5,6,7番。この日も同じ路線の演奏で、明るく力強くおおらかでのびのびとして、随所にカムさんの歌心が現れて、素敵な場面がありました。しかしその反面、繊細さには乏しく、音量もピアノ以下がほとんどなく、いつもメゾピアノ以上の音に終始するといった感じの演奏でした。
それでも聴衆の盛り上がりはものすごかったです。アンコールは予想通りで、1曲目はアンダンテ・フェスティーボ、2曲目はマイナーな曲で、そして最後のとどめはフィンランディアでした。このフィンランディアは、問答無用の爆演でした。コントラバスは5台だったのですが、5台とは思えない重厚な音が冒頭から出ていました。金管も冒頭から遠慮なく鳴らすこと鳴らすこと。シベリウスチクルスの締めくくりとして、豪放な音と熱い歌を、たっぷりと味わいました。素晴らしいフィンランディアでした。
フィンランディアが終わって、聴衆の盛り上がりはいよいよ最高潮。盛大な拍手はいつまでも続き、やがてオケが引っ込み、呼び戻しの拍手にこたえてカムが戻ってくるころには、聴衆の多くは立ち上がって拍手をしていました。ステージ中央に戻ったカムは、にこにこしながら、オケの団員を手招きして呼び戻します。それに応えて、一度退場したオケの団員たちが、楽器は持たず大挙してぞろぞろっと出てきて、ステージの前に2列くらいでずらっと左右に並びました。この頃になると会場のほぼ全員がスタンディングで熱烈な拍手を送ってオケとカムを称えます。カムもオケの皆様も本当にうれしそうで、カムの合図で全員が3度深くお辞儀をしました。オケとカムが引っ込んだ後、さらにもう一度カムの呼び戻しがあり、それでようやく拍手がおさまりお開きとなりました。
・・・終わってみると、今回のカム&ラハティ響のシベリウスチクルス、正直それほど洗練された演奏ではなかったです。
以前、ヴァンスカの振ったラハティ響を、2006年にすみだトリフォニーホールで聴きました。シベリウスのタピオラほかのプログラムでした。このときのタピオラは、極北の、厳しく、冷たく、透明な美しさが驚異的で、凄味があり、今でも強烈な印象が残っています。
今回の演奏は、このときと同じオケとは到底思えないような、方向性がまるで違うシベリウスでした。北を目指すのではなく、南へのあこがれというか、南を志向するような、素直で素朴でおおらかな、生命賛歌のシベリウス。
この2月に聴いた尾高さん&札響のシベリウス(5,6,7番)が、普通に僕たちが抱く北のイメージに合った、清冽な、凛とした演奏だったのに対して、フィンランドご当地の人々が演奏する今回のシベリウスは、もしかしたら北に暮らす人々が内に持つ南へのあこがれのようなものが外に向かって放射された演奏なのかもしれない、などと勝手に思いました。
良く言えばおおらか、逆に言えば大雑把な演奏だったわけですが、これを聴いて、あまり不満な感じはせず、不思議に肯定的な、幸せな気持ちに包まれました。「細かなところはいろいろ問題あるけれど、でもいいじゃないか、みな前向きに生きていこう」みたいな、大きな心になれるような音楽でした。カムさんのお人柄によるところが大きいのだろうと思います。会場も3日を通じて、良い意味での「これでいいじゃないの」という暖かい共感的な雰囲気に包まれたチクルスでした。カムさんもオケの人たちも、この共感的な聴衆の中での演奏は、相当やりがいがあったことと思います。カムさん、ラハティ響の皆様、ありがとうございました。
最終日は、はるばる関西から5,6,7番を聴きに来た友人G氏と一緒に聴いたのですが、そのG氏が名言を。「これはフィンランドの大フィルだ!」と。少し前までの大フィルが持っていたおおらかな魅力と重なりあうその特質を、ずばりと喝破した慧眼に、うなりました。
カムさんはこの先どこにゆくのか。ラハティ響のこの先はどこに向かうのか。
その方向がどうであっても、そこにはいつもシベリウスの音楽があることでしょう。