パーセルの「妖精の女王」を見て、聴いて、体験しました。日本の古楽演奏史に語り継がれるであろう、記念碑的な上演でしたし、すべてが完璧に素晴らしい、夢のように幸福なひと時でした。
セミオペラ「妖精の女王」
12月13日 北とぴあ さくらホール
原作:シェイクスピア「真夏の夜の夢」
音楽:ヘンリー・パーセル
指揮:寺神戸亮
演出:宮城聰
合唱・管弦楽:レ・ボレアード
俳優:SPAC(静岡県舞台芸術センター)の方々
歌手:エマ・カークビー(S)、広瀬奈緒(S)、波多野睦美(Mes)、中嶋俊晴(CT)、ケヴィン・スケルトン(T)、大山大輔(Bar)
北とぴあ国際音楽祭2015の一環としての上演でした。北とぴあ国際音楽祭は、20年前から行われている、古楽オペラを中心とする北区の音楽祭です。寺神戸亮さんが関わって、毎年ハイレベルのバロックオペラ等が上演されます。20年前の第1回は、パーセルの「ダイドーとエネアス」が採り上げられたそうです。僕がこの音楽祭のことを知ったのはもっとずっと後で、数年前からです。モンテヴェルディの「オルフェオ」、ハイドンの「月の世界」、シャルパンティエの「病は気から」など、珠玉のオペラを堪能させてもらいました。
今回はパーセルのセミオペラの大作「妖精の女王」、しかもなんとカークビーさんが来て歌ってくれるというすごいことになり、大変楽しみにしていました。セミオペラというのは、半分は劇、半分は音楽(と舞踊)で、劇のところは俳優がセリフを言い演技をし、ときどき挿入される音楽部分で器楽曲や、歌手の歌や、合唱が歌われる、という感じで進んでいきます。劇と音楽がほぼ同じ比重を持ちます。
今回がどういう上演になるのかわからなかったけれど、なんとなく、音楽中心に進められ、劇部分は付けたし程度だろうなと思っていました。そうしたら全然違って、劇部分も本格的でした。舞踊の要素はやや乏しかったかもしれないけれど、それを除けばセミオペラとして完全な形での上演でした。プログラムによると、このような本格的な形での上演は、日本では多分初演になるだろう、ということでした。
劇部分(セリフは日本語で非常にわかりやすい)がドタバタ喜劇調で始まり、笑いながら楽しんでいると、ぱっと最初の器楽曲が始まり、その途端に、あまりの音楽の美しさに反射的に涙がでてきてしまいました。このドタバタ喜劇の笑いと、音楽の純粋な美しさからの涙、そのような意味での笑いあり涙ありの繰り返しで、最高に幸福な、贅沢すぎるひとときでした。1回の休憩をいれてたっぷり3時間半の上演を堪能しました。
オケピットは使わず、舞台の前半分はオケ、舞台の後ろ半分は2メートルくらい高くして、そこが妖精の森の舞台となり、ある時は俳優が、ある時は合唱と歌手が、あるときはその両者が入り乱れて物語が進みます。またオケの手前、舞台の一番客席寄りのところでも、俳優の演技や、ときに歌手が歌う場所としても使われ、本当にうまいこと考えられた舞台でした。舞台美術も夜の森の神秘を現す美しいもので、とても素敵でした。俳優さんたちの、ともかくハチャメチャでパワーある演技は大したものでしたし、劇半ばでの村人たちによるお芝居の練習も、小気味よいテンポでとても楽しめました。そしてこれらすべてにわたって、演出が光っていました。ユーモアの中にも節度と気品が保たれていて、大胆でいて、しかし音楽に謙虚で、音楽の美しさをいささかも損なわず、本当にすばらしかったです。プログラムに載っているこの演出の方の書いた文章も素敵で、その一部を抜き出すと、“聴いているうちに、なぜこう、いともたやすく言葉が音楽になるのだろうと不思議になってくるところは・・・(中略)・・・もっぱらパーセルの天才のなしたわざなのだろうと思います。”とか、“シェイクスピアにふさわしい相棒は、後の世に生まれたパーセルをおいてほかにない、と思わずにはいられないのでした。”などなど。
そして何よりもパーセルの音楽!今までCDで音楽だけ聴いていても、音楽の美しさは十分に感じられるものの、ストーリー進行との関連は全然わかりませんでした。今回劇と平行して聴いたことで、内容がよく理解でき、より一層心にしみてきました。音楽はどこをとっても本当に素晴らしいのですが、特に印象的な場面をあげてみます。第1幕では、酔いどれ詩人と、詩人をからかいつねる妖精たちの掛け合いが面白かったです。第2幕は途中から、にぎやかな楽しい音楽が一転して夜の静寂と神秘の音楽になり、ここでカークビーさんがしずしずと登場する場面が何とも素敵でした。ここからのアリアの4連続はひとつのクライマックスと言っていい圧巻でした。「夜」がカークビーさん、「神秘」が波多野睦美さん、「眠り」がスケルトンさん、「秘密」が大山大輔さんと合唱。続く第三幕は、冒頭の有名な「愛が甘い情熱なら」を波多野さんがしっとりと歌い、コリドン(中嶋さん、女役)とモプサ(大山さん)の対話では男二人のからみの二重唱が抱腹絶倒でした。休憩をはさんで第4幕で再び出てくる4連続アリアは、「春」が広瀬さん、「夏」が中嶋さん、「秋」がスケルトンさん、「冬」が大山さんでした。最後の第5幕では、「ジュノーの歌」が波多野さん、そしてこの作品でもっとも有名な「嘆きの歌」はもちろんカークビーさんの歌で、寺神戸さんが静かにヴァイオリンを添えました。深い味わいのある名唱でした。
なにしろパーセルのオペラ上演の中でのカークビーさんの歌が聴けるなんていうことが奇跡的ですし、他の歌手陣も本当に充実していました。なかでもテノールのケヴィン・スケルトンという方は、僕は今日初めて認識しましたが、歌と所作の調和した神秘的な美しさに感銘を受けました。器楽陣も、三宮正満さんのオーボエ、濱田芳通さんのリコーダー、福沢宏さんのヴィオラ・ダ・ガンバなどなど、豪華メンバーによる素晴らしいアンサンブルを聴かせてくれました。
「妖精の女王」の、セミオペラとしての本格的上演のおそらく日本初演、しかもカークビーさんが参加というこの上演は、日本の古楽演奏史上で語り継がれていくことは間違いないと思います。出演者も観客も、カークビーさんへのリスペクトで一つになった会場で、劇と音楽の一つになった極上の夢世界が、そこに成就していました。この場に立ちあえたこと、大きな感動をいただいたこと、本当にうれしく思います。パーセルとカークビーさんと寺神戸さんと皆々様に、心から感謝です。音楽ってすばらしい。