コンスタンチン・リフシッツのピアノリサイタルを聴きました。
ラフマニノフ 24の前奏曲
2月23日 紀尾井ホール
ご存知の方はご存知のとおり、ラフマニノフ に「24の前奏曲」という一つの曲があるわけではありません。前奏曲 嬰ハ短調 作品3の2「鐘」 (1892年)、が書かれたのち、「10の前奏曲」作品23 (1903年)、さらに「13の前奏曲」作品32 (1910年)が書かれ、これら三つを合わせると、調性のすべて異なる前奏曲全24曲のセットになるわけです。ラフマニノフが、ショパンに倣ったこの前奏曲セットの構想をいつの時点で抱いたかの詳細は不明だそうです。
今回は、僕の好きなリフシッツさんが、このラフマニノフの24の前奏曲を全部弾くという魅力的なプログラムですので、とても楽しみにしていました。前半に「鐘」と10の前奏曲、休憩をはさんで後半に13の前奏曲が演奏されました。
話がそれますが、ラフマニノフの前奏曲と言えば、2015年2月のきらクラBGM選手権、中原中也の「生い立ちの歌」のお題でベストに選ばれたのが、13の前奏曲の第5番でした。ふかわさんが思わず「スタジオに雪が舞っています!」と興奮気味に仰ったように、雪が風に舞いながら降ってくるさまを美しく描写したすばらしいBGMでした。このBGMがあまりに印象的だったので、中原中也のお題が再び出た「月夜のボタン」のときに、僕はラフマニノフのピアノ曲から作品3の1「エレジー」を投稿したのですが、2匹目のドジョウならず、ボツとなりました(^^;)。
リサイタルに話を戻します。リフシッツは「鐘」が終わって一旦立ってその場でお辞儀をしたあとは、10の前奏曲を完全にひとつのものとして、続けて演奏しました。1曲弾き終わると、ときに服の袖の具合を調整し、ときには椅子の高さを調整するなどの動作がはいりましたが、そうしている間もダンパーペダルを踏みっぱなしで、前の曲の最後の音の余韻を響かせたままにしていたのです。このやり方は、音楽の連続性が保たれて、すごく良かったです。もちろん1曲ずつ独立した曲ですから、区切って弾くやり方でもOKでしょうけれど、このリフシッツの方法は、緊張感が保たれて、素晴らしいと思いました。おかげで聴衆の方も、曲間に無駄なノイズを出す聴衆もほとんどなく、集中・緊張がずっと保たれていました。後半の13の前奏曲も同じやり方で、途中1回は、曲間にハンカチを出して汗をちょっと拭きましたが、そのときもダンパーペダルを踏みっぱなしで、音楽の連続性・緊張感が保たれ続けていました。
僕はラフマニノフのピアノ曲をあまり聴きこんでいないので、リフシッツの演奏がどうだったとかは良くわかりませんが、ともかく素晴らしくて、感動しっぱなしでした。華麗な美しさというのではなく、深みをたたえた抒情と、しかるべきところでの巨大なスケール感と重み、圧倒されました。すべて良かったですが、強いて言えば自分としては10の前奏曲の第4番、第6番、13の前奏曲の第4番、10番、13番などが特に深い感銘を受けました。打鍵パワーのエネルギーに押されて、プログラムの前半・後半ともに、あとのほうでは調律がわずかながら乱れましたが、それもライブならではの趣です。
アンコールの1曲目は、リフシッツさんがたどたどしい日本語で「ラフマニノフの、最後の前奏曲です」としゃべってくれて弾かれました。帰りにロビーの掲示を見たら、「前奏曲二短調 アンダンテ・マ・ノン・トロッポ (1917)」とありました。帰宅後ウィキペディアを見たら、ラフマニノフは全部で27曲の前奏曲を書いていて、この1917年の曲は生前は出版されず、自身演奏することもほとんどなかったということでした。
これはもしかして、アンコールも全部ラフマニノフを弾くのだろうか、と思いましたが、アンコールの2曲目3曲目は、ショパンの24の前奏曲集から第15曲「雨だれ」と第3曲ト長調でした。ラフマニノフが倣ったショパンの曲で締める、というコンセプトだったわけですね。
会場にはNHKのカメラが入っていたので、いずれ放送されると思います。
リフシッツさんのピアノは、僕はバッハ以外を聴いたのは今回が初めてですが、ますます好きになりました。次の来日では何を弾いてくださるのでしょうか、今から楽しみです。