(この記事は、関西グスタフ・マーラー響の3番を聴く その1 の続きです。)
さて少しの間合いが終わって、指揮者が入って来ました。このときは拍手は起こらず、第二楽章が始まりました。この第二楽章は、野の花が話すようなチャーミングさがほしいところですが、今回の演奏は硬さが目立ち、やや消化不良の感がありました。もっとも、この楽章はプロオケでもこのようになることが少なからずありますので、やむを得ないところでしょう。
第二楽章が終わると、ここで舞台上手から独唱者がさりげなく入場し、舞台後方右端の、合唱団の前の席に座りました。目立たないようなうまい入場でしたので、拍手は起こらずにすみました。すでに記憶が定かでなくて、もしかしたら独唱者の入場は第三楽章が終わったときだったかもしれません。いずれにせよ拍手がなかったことは良くおぼえています。
そして第三楽章が始まりました。早過ぎない、丁度良いテンポで、軽やかに進んでいき、聴きほれるような第三楽章の出だしでした。そしてポストホルンの出番が近づいて来たあたりで、テンポがぐっと落とされてじっくりとした音楽になったのも素敵でした。お膳立て十分の中で、いよいよポストホルンが始まりました。
今回のポストホルン、僕は奏者を視認できなかったのですか、終演後の友人による目撃情報によると、4階客席左サイドブロックの舞台寄り、譜面台が置いてある位置で吹いていたそうです。そして使用した楽器は、ポストホルンだったそうです。普通のトランペットよりかなり難しいと思いますが、十分に健闘した、いい演奏でした。奏者のかたを讃えたいと思います。
しかし。
しかしこのポストホルン、聴いていて非常に大きな違和感がありました。
僕の席は1階センター前寄りでした。その席で聴くと、右の上の方、どこか良くわからないところから、ポストホルンが聞こえてきました。「どこか良くわからないところから聴こえてくる」という点は良いのですが、その音量に違和感がありました。音量が、異様に大きいのです。力一杯吹いたのなら、大きな音も出るでしょう。しかしそうではなく、柔らかく、さほど強くない吹き方で吹いているのにも拘らず、音量がやたらに、不自然なまでに大きいのです。舞台上で平行して演奏しているオケの音が、半ばかき消されるほど、不釣り合いに大きいです。
違和感は音量ばかりではなく、もう一つ他にもありました。あたかも、至近距離で聴いているようなプレゼンスだったことです。ラッパを至近距離で聴く場合、音のアタック時に、タンギングなどに由来するかすかな雑音が、ときとして聴こえてきます。これはどんなにうまい奏者でもあります。このかすかな雑音は、ある程度の距離があると、殆ど聴こえて来なくなります。今回のポストホルンは、その手のかすかな雑音が、あたかもすぐ自分の目の前で吹いているような感じで聴こえてきて、とても不自然です。
そのとき僕は突然に、開演前に会場に流れたアナウンスを思い出しました。前回(その1)の記事にかいたように、そのアナウンスの途中に、「本日の公演はPAを使います」という言葉が聞こえてきたのでした。聴き間違いだと思ってスルーしていましたが、そうか、あれは僕の聞き間違いではなかったのだ、あのアナウンスは、ポストホルンのことだったのか!と、合点がいきました。
確証はありませんが、おそらく4階左サイドの客席で吹いたポストホルンの音を、すぐそばに置いたマイクで拾い、それをホール内の高い所にあるスピーカーから流したのではないか、と推測しています。
このポストホルンに、マーラーは weiter Ferne と指示しています。かなり遠く、はるか遠く、という感じでしょうか。通常このポストホルンは、舞台の裏手で吹かれます。稀に、ホール内の客席で吹かせる指揮者がいます。コバケンがそうです。それから2007年のマーカル&チェコフィルの京都公演がそうでした。このときは、京都コンサートホールの舞台後方の壁、パイプオルガンの向かって左側のすごく高いところにある窪みのようなスペースに奏者が陣取って、吹いていました。(高所恐怖症の奏者だったらちょっと怖かったと思います(^^;)。ただし、彼らがこの直後にサントリーで3番を演奏したときは、普通に舞台裏で吹かせていました。もしかしたら、京都で試してみたがホール内で吹かせるのは良くないと判断してやめたのかもしれません。
個人的には、このポストホルンをホール内で吹かせる方法は、良くないと思います。これまでに繰り返し書いているように(2010年のヤンソンス&コンセルトヘボウの3番の感想記事をご参照ください)、このポストホルンは、自分達と同じ場所にいて同じ空気を共有していてはだめなのだと、僕は思います。それはあたかも、遠くからチャルメラのラッパが聴こえて来るとき、何処からかは良く分からないけれど、何処か遠くのほうから聴こえて来るなぁ、という、そのような距離感を持って響いて来ること、まさにマーラーが指示したように、はるか遠くから聴こえてくること、それが大事なのだと思っています。ポストホルンをホール内で吹いてしまうと、奏者と我々聴衆とが、同じ空気で直接つながった空間にいるということが、あらわになってしまい、「はるか遠く」という感じがまったく出ません。単に奏者との直線距離が、舞台上よりも少し遠ければいい、とは到底思えないのです。
今回の演奏は、たとえ4階(最上階)であっても、そもそもホール内で吹いたということだけで距離感が出ないのに、それを(確証はありませんが)マイクで拾って流したことによって、遠いどころか、とても「近い音」になってしまいました。しかもそれが、異様に大きな音量で、他の楽器の音を圧してホール内に鳴り響いたのです。折角のポストホルンが台無しです。。。僕は、聴いていて居心地がどうにも悪くて、耳を覆いたくなるような心境になりました。
指揮者のお考えによるのでしょうが、正直PAを使う意味が、僕にはさっぱりわかりません。実際にPAを使ったのかどうかは不明ですので、もし使っていないのでしたら申し訳ありません。でも、いずれにせよ、この大き過ぎる音量と、至近距離からのような聴こえ方は、聴いていてかなりの違和感を感じました。
もしも、もしも百歩譲ってPAを使うとしたら、このような音響にならないように、ポストホルン奏者と十分な距離を持ったマイクを設置し、そのマイクで拾った音を、ホール内のスピーカーで静かに流す、というのならわかります。(もっとも、そんなことするんだったら、ポストホルン奏者を舞台裏の遠くにおいて、そこで普通に吹いてもらえば、すむことです。それに折角の生音のコンサートにPAは。。。。)
(続きはまた次の記事に書きます。)