ハーディング&新日フィルのマーラー8番を聴きました。
指揮:ダニエル・ハーディング
管弦楽:新日本フィル
コンサートマスター:豊嶋泰嗣
合唱:栗友会合唱団、東京少年少女合唱隊
独唱:エミリー・マギー(Sop1)、ユリアーネ・バンゼ(Sop2)、加納悦子(Alt1)、中島郁子(Alt2)(ゲルヒルト・ロンベルガーの代役)、サイモン・オニール(T)、ミヒャエル・ナジ(Bar 法悦の教父)、シェンヤン(Bass 瞑想の教父)、市原愛(Sop 栄光の聖母)
7月4日 サントリーホール
アルミンクが新日フィルの音楽監督としての最後の演奏会にマーラー3番を演奏したのが2013年でした。あれから早3年が経ち、今度はハーディングがマーラー8番で、新日フィルのミュージックパートナーとしての最後の演奏会を行うことになり、これは必ず聴きたいと思っていました。僕の聴きに行った7月4日は、3回公演の3日目で、いよいよ本当に最後の演奏会です。
舞台上にびっしりと並んだオーケストラ。7人の独唱者は舞台の最後部の雛壇の上に横一列に並びました。そして合唱団は、Pブロックに全員がぎゅうぎゅうにおさまりました。特に右部分の児童合唱団は、席と席の間の通路にもびっしりと入り、立ったり座ったりするのも難儀なのではないかと思うほどの詰め込まれ状態でした。また成人の合唱団は、Pブロックの中央と左部分で、前の方に女声合唱、後方に男声合唱という配置でした。
金管のバンダは、普通は舞台から遠く離れた客席後方などで吹かれます。しかし今回は、Pブロック左後方の壁際で吹きました。Pブロックには最後部まで合唱団がぎゅうぎゅうに詰まっていたので、合唱団が起立すると人垣のようになり、バンダが途中から出て来ても、殆ど合唱団の一部のようにしか見えません。人垣の間からわずかに楽器が見え隠れするので、あれがバンダなんだと認識できるという感じでした。この結果、バンダを含む全オケと全合唱団と7人の独唱者が、舞台とPブロックだけという狭い空間にびっしり収まったわけです。また、第二部最後近くの栄光の聖母の独唱は、2階客席LAブロックの壁際に登場して歌いました。丁度指揮者から左に真横に伸びた直線上辺りで、マリアとしては比較的指揮者に近い位置でした。結局今回の8番は、演奏者全員をホール内に散らばさず、ハーディングのそばに固めたというコンパクトな配置でした。
そして始まった演奏は、オケの気合いがすこぶるはいっていて、息をのむほどです。ともかくオケの皆様の持つハーディングに対する信頼感の大きさ、ハーディングの音楽を実現しようとする意志の強さが、ビンビンと伝わって来ます。コンマスの豊嶋泰嗣さんは、一音一音に魂がこもった気魄がものすごく、随所で弾かれるソロが何とも感銘深いです。ハーディングの棒は冴えに冴え、魔法のようにマーラーの書いた音楽の魅力を伝えてくれます。合唱団も実に充実していましたし、赤いソプラノ1、緑のソプラノ2、(カップ麺ではなくて服の色です)、青いアルト1、白いアルト2、男声3人の独唱者7人が皆、本当に素晴らしい歌唱を聴かせてくれました。ハーディングが満を持して結集させた歌手陣なのでしょう。
ともすればフォルテの繰り返しが単調になりやすい第一部が、力に任すのではなく、美しく心地良く、あっという間に終わってしまう感じでしたし、続く第二部も、美しい響きがそこかしこから聴こえて来ました。ハーディングはあまり粘らず、しかし細部への気配りが非常に行き届いた、音の意味を顕にしてくれるような音楽を奏でてくれました。たとえば舞台上手の端の客席寄りに固まって配置されていた、ピアノとチェレスタとハルモニウムとハープ、これらの音が程よくまとまって、美しく意味を持って響き、「そうかこういうことだったのか」と、これほど納得させられたのは、僕の8番体験で初めてのことでした。神秘の合唱の入りは、思ったほどテンポは落とさず、しかし非常に精緻な響きが出ていました。こういうところを得意とするハーディングならではの音楽がきけました。
今夜の演奏、これまで僕が聴いて来たハーディング(といくつかのオケ)によるマーラー演奏(2,4,5,6,7,8番)の中でも、 マーラーの魅力をもっともよくあらわしていたと思いました。新日フィルとしても、5年間の集大成としてのベストパフォーマンスだったと思います。
細かなことをちょっと書きます。独唱者の配置に、ハーディングの工夫が光る場面がありました。前述のように独唱者たちは基本、舞台最後方の雛壇で歌っていました。しかし第二部前半のバリトン(法悦の教父)とバス(瞑想する教父)の独唱だけは、舞台の最前部、指揮者のすぐ右で歌わせたのでした。しかもこの二人が移動する際、舞台の上はオケでいっぱいで、歩いて前に来る余地がないので、ハーディングはバリトンとバスの二人をいつの間にか舞台から一度退場させておいて、その後オケの演奏中に客席用のホール右前部のドアからホール内に入って来させて、客席側から舞台に上がらせる、という手の込んだ移動ルートを用いていました。そしてバリトンとバスは、指揮者のすぐ右で立って歌いました。歌い終わると二人の独唱者は、入って来たルートを逆に辿ってホール外に退場して行きました。この後この二人はしばらくしてから、また舞台最後方の雛壇に戻り、そこで歌いました。ハーディングはこのような面倒な方法をとることを厭わず、この二つの歌だけを、あえて舞台最前部で歌わせたわけです。8番でこのように独唱者の位置を途中で変える方法は初めて見ましたが、この効果は非常に大きなものでした。この二つの歌は合唱との掛け合いが少なくソロとしての聴かせどころが目立つ歌ですので、前に出して歌わせることで、歌が生き、非常に魅力的でした。そして合唱団と一緒に歌うことが多い他の歌では、合唱団のすぐ前の位置で歌わせて合唱との一体感を持たせたわけです。
この素晴らしい演奏に注文をつけるのはとても図々しいことを承知の上で、一つだけ贅沢を言わせてもらうとすれば、「バンダの配置に難あり」でした。金管のバンダは、普通はホール後方の、舞台から離れた客席あたりに陣取って吹き、オケ本体の音と呼応するように響くことで、ホール全体が豊かで立体的なひびきに包まれて、まさに宇宙が響くような絶大な効果を発揮します。しかし今回は上記したように、バンダはPブロック左後方の壁際で吹きました。Pブロックの合唱団に埋もれて視覚的に目立たないのは良いとしても、バンダの音がオケや合唱団とほぼ同じところ、同じ方向から聞こえて来たために、バンダによるステレオ効果が全くないどころか、音響的にも全然目立たず、そもそも鳴っているのかどうか聴き取りにくいほどでした。このバンダの配置だけは残念でした。
しかしともかくもこのマーラー8番、ハーディングと新日フィルの締めくくりの演奏会に相応しい、画竜点睛、記念碑的な名演でした。この場に臨むことができ、幸せでした。
終演後に盛大な拍手が続いたあと、ハーディングに花束贈呈があり、その後にハーディングのスピーチがありました。2011年3月11日の震災当日のマーラー5番が、ハーディングの新日フィルミュージックパートナーとしての最初の演奏会だったそうです。NHKでもドキュメンタリーが放送された、あのマーラー5番です。以前の記事にも書いたように、僕はこの演奏会のチケットを買っていて行けませんでした。後日改めて演奏されたチャリティコンサートのマーラー5番や、その後の演奏会で何度となく目にした、募金箱を自ら持ってロビーで募金活動するハーディングの姿は、忘れられません。あれから5年、混迷する日本の中で、両者がともに歩んだ日々は、両者にとって特別な5年間だったことと思います。アルミンクが去り、ハーディングが去った新日フィルは、これから大変と思いますが、新しいシェフ上岡さんとともにまた新たな歴史を作っていくことでしょう。
さてハーディングは、スピーチの最後に、「皆様に一つお願いがあります」「写真を撮らせて下さい」、と言って、指揮台の上でスマホ?を取り出し、四方八方に体の向きを変え、なんと自撮り!をし始めました。オケのメンバーや、喝采する満場の聴衆を背景にした自撮りです。さぞや爽快な自撮りだったと思います(^^)。
オケのメンバーが舞台から去ったあとは、満場総立ちでハーディングの呼び戻し。やがて出て来たハーディングに、僕は日本語で「ありがとう」と叫びました。
ハーディング、本当にありがとう。