カテゴリ:マーラー演奏会(2020年~)
久しぶりに演奏会の感想を書きます。
ネルソンスのマーラーは初めて聴きました。マーラーへの大きく豊かな共感が伝わってきました。重要な部分の足取りをじっくりと落とし、憧憬の念が強く込められていて、強い感銘を受けました。 楽章順は第二楽章スケルツォ、第三楽章アンダンテでした。 そして3回ハンマーでした。 以下、3回ハンマーのこと、カウベルのこと、演奏全体のことを書きます。
1)3回ハンマーのこと 3回ハンマーについては、2019年のギルバート&都響のときの記事に詳しく書きましたので、ご参照ください。
すなわちこれらから、今回の使用楽譜は、第3版、もしくはそれを校訂した国際マーラー協会の全集版であったと思われます。それにただ単に3回目のハンマーを追加した、ということになります。ギルバート&都響のときと同じです。 なおハンマーは、舞台下手奥に置かれた大きな木製の箱を、打っていました。ネルソンスが3回目のハンマーを追加した意図はわかりませんが、目立つように大上段に振りかぶってズシンと打ちこむという感じのハンマーではなかったので、少なくとも視覚的なパフォーマンスを追求したためではないのだろうと思います。
2)カウベルのこと 第一楽章、舞台裏のカウベルは、普通のカウベルの音で、これがなかなか豊かにいい音で、舞台裏で鳴らされていました。横浜でもサントリーでも、舞台下手の、客席に近い方ではなく奥の方のドアを少し開けて、かつドアのすぐそばではなく、少しドアから離れたところで鳴らしていたようで、その効果が出ていて、距離感がほどほどに出ていました。 第三楽章、舞台上のカウベルが、独特でした。小さめのカウベルを、上から下まで縦にひとつながりに8つ、下ほど小さくなるように、連ねたものを2本ぶら下げて、それを手で揺らして音を出していました。これは見た目にも独特だし、普通のカウベルのガランゴロンとした音ではなく、ジャラジャラという感じの独特の音でした。 そしてカウベルでもっともユニークだったのは、終楽章での鳴らせ方でした。終楽章で2か所出てくるうち、最初の部分(練習番号121、第239~251小節)は普通に舞台裏で鳴らしていて、いい音でした。しかし、二か所目の部分(練習番号145と146、第554~560小節と第568~574小節)は、なんと舞台上のカウベルを鳴らしていたのです!終楽章で舞台上のカウベルを鳴らす演奏を目撃したのは、初めてです。なぜ、楽譜の指示に反してあえて舞台上で鳴らしたのか、ネルソンスの意図はどこにあるのか、謎です。
3)演奏全体のこと しかし今回の演奏は、3回ハンマーとか、一風変わった舞台上カウベルの音色やその鳴らせ方とかについて云々するのは、あまり意味がないことのように感じます。何よりも、最初に書いたように、重要な部分の足取りをじっくりと落とし、丁寧に、慈しむように、憧憬の念が込められていたことが、僕にとって素晴らしかったです。 アンダンテ楽章のミステリオーソのところや、最後の盛り上がりのあたり。第一楽章の中間部などなど。それから終楽章最後の、トロンボーンの挽歌。 こういった部分でテンポをじっくり落とすことは、横浜でも強く印象に残りましたが、サントリーでは一段と大きく落としていたように感じました。(僕の思い込みかもしれませんが。) ボストン響の魅力も十分に感じました。1番ティンパニ奏者の、全身がマレットになっているかのような気迫の打撃群。1番トランペットの輝かしくも切なく、胸がかきむしられる音色と歌。存在感ありすぎるほどのホルン隊。などなど。 横浜はツアー初日ということもあってか、アンサンブルがやや乱れかけるところがありましたが、すでに音楽の充実ぶりは素晴らしかったです。聴衆の入りは少なかったけれど、その集中力はサントリー以上で、曲の最後はもちろんのこと、すべての楽章間で、ネルソンスのタクトが下ろされるまで咳払いなどの音が一切なく、張り詰めた静寂と緊張感が一度も緩むことがありませんでした!(ネルソンスは、タクトを下ろし始めるまで、すべての楽章間で、かなり長い時間をとっていました。) サントリーは、テンポをじっくりと落とし込む、憧憬の念を込める、という点ではおそらく横浜以上だったかと思います。もしかすると、これを音楽的緊張の弛緩とか、恣意的とか感じる方もいらっしゃるかもしれないけれど、横浜での6番を体験し共感した自分にとっては、横浜からさらに深化した音楽と受け止めることができました。 ネルソンスとボストン響の方々、素晴らしきマーラーをありがとうございました! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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