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じゃくの音楽日記帳

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2024.01.27
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1月8日の新交響楽団のコンサートで、シュレーカーの「あるドラマへの前奏曲」の最後に出てきた、マーラー10番終楽章途中の重要なメロディを彷彿とさせる短7度上昇音型が、とても気になりました。そこで後日、ネットでシュレーカーのこの曲を聴いてみました。曲が始まって少ししてから、低弦を主体にうたわれる重要な主題が、始まりのB→Aと、途中のE→Dの、二つの短7度上昇音型を含んでいることに気が付きました。そして曲の途中には、短7度上昇音型(E→D)を3回繰り返すところもありました。これらの箇所は、コンサートで聴いているときに、特別にマーラーを思い起こすことはありませんでした。そしていよいよ曲の最後、僕が10番を想起して驚いた部分の短7度上昇音型は、A→Gでした。静かに美しく、「AーGーーーー、AーGーーーー、AーGーーーー」と3回繰り返すのでした。(僕は絶対音感はないので、ピアノで音高を確認しながら聴きました。)

興味深いことに、マーラー10番の当該箇所も、同じA→G を3回繰り返しているのです!下の図をご覧ください。10番クック版第3稿の最終楽章第26小節からの楽譜です。クックが補筆したスコアではなく、その下に示されているマーラーの4段の自筆譜(パーティセル)を浄書した部分です。上段に、Horに導かれてFlの旋律が始まる様子が示されています。

Associated Music Publishers, Inc. and Faber Music Ltd. 1989, AMP-7001, F0273 p.123 )


「AーGーーーー、AーGーーーー、AーGーーーー」の3回繰り返しです。
ここまでそっくりとなると、まさかシュレーカーがマーラー10番を引用したのだろうか、という疑問が湧いてきます。

〇時系列で確認すると、
1910年 マーラーが10番を作曲
1911年 10番未完のままマーラー没。アルマは自筆譜の整理を託される。
1913年 シュレーカー「あるドラマへの前奏曲」を作曲
1914年 同 初演(ウィーン)
1918年 シュレーカー オペラ「烙印を押された人々」初演(フランクフルト)
1923年 アルマがクルシェネクに10番の自筆譜を見せ、クルシェネクが補筆する。

となります。シュレーカーはマーラーより18歳年下で、マーラーが没した1911年には33歳頃です。シュレーカーはもしかしてマーラー10番の自筆草稿譜を見せてもらったのだろうか、という可能性を考えてみましたが、自筆譜には、アルマとの愛に苦悩するマーラーが心情を吐露した言葉が書きこまれているわけです。そんなものを生前のマーラーが他の誰かに見せたということは、ちょっと考えにくいです。アルマもまたマーラーの死後に、自筆譜を他人には軽々しく見せたくなかっただろうと思います。後にアルマは、ようやく1923年にクルシェネクに自筆譜を見せ、そこから10番補筆の歴史が始まることになりますが、それよりずっと早い1913年頃までに、アルマがシュレーカーに自筆譜を見せたということは、非常に考えにくいです。

となると、偶然の一致?あるいは、マーラーに先行する誰かの曲にこういう音型があって、マーラーもシュレーカーもそれに影響を受けていたのかもしれません。だとすれば最右翼はワーグナーでしょうか?でもワーグナーの音楽で、短7度上昇音型で始まる重要な動機あるいはメロディは、ちょっと思いあたりません。

少し話がそれますが、コルンゴルトのオペラ「死の都」にも短7度上昇音型が3回繰り返されるところがあります。第2幕への前奏曲の途中です。この曲のこの部分を初めて聴いた時にも僕は結構驚いて、コルンゴルトはマーラーの10番の自筆譜を見たのだろうかとも考えたものです。しかしコルンゴルト(マーラーより37歳年下で、マーラーが没したときには14歳)が、やはり最晩年のマーラーあるいはアルマから自筆草稿譜を見せてもらったということは、かなり考えにくいです。では偶然の一致なのだろうか、とかねてから疑問に思っていたのですが、今回シュレーカーの曲を聴いて、新たな可能性に気が付きました。

〇コルンゴルトを入れてもう一度時系列で並べてみると、
1910年 マーラーが10番を作曲
1911年 10番未完のままマーラー没。アルマは自筆譜の整理を託される。
1913年 シュレーカー、「あるドラマへの前奏曲」作曲
1914年 同 初演(ウィーン)
1916~1920年 コルンゴルト、オペラ「死の都」作曲
1918年 シュレーカー、オペラ「烙印を押された人々」初演(フランクフルト)
1923年 アルマがクルシェネクに10番の自筆譜を見せ、クルシェネクが補筆する。

したがってコルンゴルトは、シュレーカーの前奏曲(あるいはオペラ)から影響を受け、短7度上昇音型を3回繰り返すフレーズを曲中に使用した可能性がある、と思いました。(ただし、「死の都」の当該部分の実際の音高は E→D でマーラーやシュレカーとは異なり、曲調もマーラーやシュレーカーとは異なりやや不穏な感じがする使われ方をしています。)

さてマーラーとシュレーカーに話を戻します。これらの曲に出てくるゆっくりとした短7度上昇音型を聴くと、言わば「オクターブの調和・充足に憧れて、それに届きたい。だけどあと一歩届かない。」というような、はかない憧れのような感情が、僕の中にうずくように生じます。(これはもちろん音程だけだけでなく、背景の和声の雰囲気によるところも大きいです。ちゃんとした言い方でなんという和音かがわからないので(^^;)移動ドで言うと、ソドレファラの和音です。)

愛、あるいは究極の美、あるいは至高の芸術。そういった何か完全なるものに憧れ、求め、熱望しながらも、もしかしたら届かないかもしれない、というせつなさを含んだ、はかなくも美しい短7度上昇音型。これはもう、まさに憧憬の音型と言いたいです。しかもこれが3回も繰り返されることにより、「憧憬感」が強まり、より一層胸に響きます。
「AーGーーーー、AーGーーーー、AーGーーーー」

ここで先ほどちょっと書いたワーグナーについて、「憧憬」の観点から見てみたいと思います。ワーグナーにはあまり詳しくないんですけど、ワーグナーの音楽で「憧憬の動機」として有名なものに、トリスタンとイゾルデの前奏曲の冒頭に現れる動機がありますね。この動機の前半部分は上行音型で始まり、後半部分はいわゆる「トリスタン和音」が半音階的に進行します。

トリスタンとイゾルデの前奏曲を改めて聞いてみました。曲の最初にこの動機が3回繰り返されますが、前半部分の上行音型は、最初は短6度(A→F)で、次の2回は長6度(H→Gis、D→H)でした。そしてそれに続いて、チェロが奏でる美しい旋律が、「眼差しの動機」と呼ばれるそうですが、この旋律に短7度上昇音程が2回含まれています。1回目はC→D→Cと7度下がってまた戻るという流れですが、2回目はC→Bでこの旋律の頂点に跳躍する、かなり目立つ短7度上昇です。このあと前奏曲はこの動機を中心に盛り上がっていき、そのあと静まって、憧憬の動機の前半部分の長6度上昇が何回か聞かれ、最後は静かに、短6度上昇(今度はG→Es)もちょっと聞こえ、低いG音で終わります。(前奏曲に続く水夫の歌は、同じ短6度上昇(G→Es)で始まります。)


結局この前奏曲全体として、短6度上昇に始まって、長6度上昇、さらに短7度上昇と次第に「憧憬度」が増して盛り上がり(トリスタンとイゾルデ、見つめ合う二人)、そのあと再び長6度上昇を経て最後は短6度上昇に戻っていくという、複雑な仕掛けが巧みに組み込まれていることに初めて気が付き、さすがはワーグナー、と感じ入りました。


それにしても、長6度上昇の「憧憬」と短7度上昇の「憧憬」。両者は、同じ「憧憬」と言っても、音楽的な響きの印象はずいぶんと異なりますね。この違いは何なのだろうと考えたところ、何となく自分の中で整理がついたような気がしてきました。誤解を恐れず大胆に言ってしまうと、長6度の方は「きっといずれ届く憧憬」「やがてかなうであろう憧憬」に近く、対して短7度の方は、「おそらくかなわない憧憬」「かなわないかもしれない憧憬」に近い、と言えるのではないでしょうか。

個人的には、ワーグナーの音楽は本質的にしっかりした自己肯定が基盤にある(自分に揺るぎない自信がある)音楽だと思っています。「己の願望は、たとえ死んでも必ずかなう。」そういうワーグナーの音楽における憧憬は、長6度上昇の「いずれかなう憧憬」がふさわしいように思います。ただワーグナーにしても、願いが成就するまでには様々な苦難や葛藤があるだろうし、そのあたりがトリスタンとイゾルデの前奏曲にも、しっかり現れているように思いました。一方マーラーの音楽は、ワーグナーと異なり、「憧れて、届かない」というところに根っこがあるように思っています。特に、アルマの不倫の衝撃にあえぎながらアルマを愛す10番は、マーラー作品のなかでもその性質が最もストレートに出ていると言えるでしょう。これには、短7度上昇の「かなわないかもしれない憧憬」がまさにぴったり一致する、と腑に落ちました。


マーラーとシュレーカーの表現が、そっくり同じA→Gの3回繰り返しなのは、偶然の一致なのか、何かのつながりがあるのか、真相はわかりません。ひとつ思うのは、時代背景です。この時代(1910~1920年頃)が持つ雰囲気そのものの中に「かなえられない憧憬感」があって、その中でマーラーやシュレーカーの音楽表現が醸成されやすかったのだろう、と思います。


このところ、シュレーカーのオペラ「烙印を押された人々」を繰り返し聴いて、はまっています。このオペラ、まさに「かなえられない憧憬」の物語で、それが音楽的に見事に表現された素晴らしいオペラです。そして、ところどころにマーラーの色濃い影響を感じます。たとえば、ここぞというところで、静かに吹かれるバスクラリネットの意味深さ。より具体的なところでは、第二幕中ほどの、点描的なハープや、さらにそれにフルートソロが重なる部分など、9番の第一楽章の雰囲気にかなり近いです。これを聴くと、少なくともシュレーカーがマーラーの9番(1912年初演、ウィーン)を聴いたのは確実だと思います。


マーラーはオペラを書きませんでしたが、その代わりにシュレーカーやコルンゴルトが、素晴らしいオペラを残してくれたこと、実にありがたいことだと思います。

長くなってしまいました。ここまで読んでいただいた方、ありがとうございます。なおマーラ10番については、金子建志氏著、音楽之友社「マーラーの交響曲」(1994年)および「マーラーの交響曲・2」(2001年)に書かれた解説が、楽曲分析、補筆史ともに非常に詳しく、大変興味深いです。今回久しぶりに読み返して、あらためて納得することがいろいろありました






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Last updated  2024.03.31 16:49:11
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