|
カテゴリ:歴史コミュ 戦国時代
浮世をば今こそ渡れ武士の名を高松の苔に残して
これは先日、功名が辻でも放送していましたが備中高松城の清水宗治が切腹する時に残した辞世の句です。 信長は亡くなっているのにそれも知らず城兵を救うために切腹した彼には哀しさを感じます。 中国攻めが始まり宗治が籠城して抗戦すると秀吉は「備中一国を与える」と申し出ますが彼は自分の命にかけて主君を守ろうと決意し拒否、その後水攻めと言う奇襲により落城寸前に追い込まれます。 宗治は城兵の助命を条件に切腹、彼の妻子は開城されたあと備中川辺に退きます。 後に秀吉は宗治の子景治を自身で取り立てようとしますが、景治は小早川隆景の配下に入り隆景について朝鮮に出兵したりしています。 隆景の死後は他の家臣と同じように秀秋にはつかず毛利に復帰、関が原で毛利が減封された時に今の山口県光市に移ったそうですが、領地は宗治と一緒に自刃した難波家子孫(名前わかりません)が守り、景治は萩に屋敷をかまえてそちらに住んでいたそうです。 その後月日が流れ、、、、はい、いーっぱい流れて明治維新、禁門の変の後に俗論党により切腹を命じられた藩士の中に清水家第12代当主(これは12代なんて覚えていませんので検索しました)清水清太郎の名前があります。 (清水清太郎のお墓は萩市の東光寺にあります) このあと歴史は高杉が挙兵して動いていく… 歴史が回転しだす前に犠牲になっているような清水家、、不思議なめぐり合わせですよね。 ちょっと皆様に質問。 毛利は何故、秀吉を追わなかったのでしょう? 気概がなかった?とか、物理的に無理じゃない?とか、実は秀吉と密約があったんだよとか、いろいろありますが「こんなんじゃん」なんてありましたらぜひコメント下さい。 常識的なこと、空想的なこと何でもOK牧場ですのでよろしくお願いします!!!!! ☆ここでティータイム☆ 次男とただ今「ダ・ヴィンチ・コード」を読んでいます。 1人で買うとお金がかかるので「お母さんも読むなら半分づつにしよう♪」ですって。 チャッカリしていますが私も助かるから良いか! 私より彼の方が夢中で読み終わったら映画に行くぞ!と張り切っています。 しかし、次男の話ですが最近の大学は大変ですね~。 1ヶ月ごとに課題があって提出しないといけないんです。 そうやってプレゼン能力や表現能力を養っているのでしょうが私の学生時代はボランティアサークルに属していてそっちばかりで勉強は??だったので、最近の大学生は大変だなぁ、と思います。 ワールドカップ 昨日の試合の結果でトーナメント1回戦の組み合わせが決まりましたね。 「ドイツVSスェーデン」「エクアドルVSイングランド」です。 (クローゼの宙返りが冴えていた??もう4点目ですね~。日本に1点わけて欲しい…) そして今日はC・D組の決勝トーナメントをかけた試合です。 アルゼンチン、オランダ、ポルトガルはもう決まり! 残るD組最後の切符をメキシコとアンゴラが争います。 決勝トーナメント進出は決まっているとはいえアルゼンチンVSオランダはワクワクするカードですね~。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[歴史コミュ 戦国時代] カテゴリの最新記事
|