硫黄島(ドキュメント映画)
1973年に公開されたドキュメンタリー映画「硫黄島」は太平洋戦争終盤の1945年3月17日における米軍硫黄島占領を米海兵隊が撮影したフィルムを未公開のまま米国防総省に27年間保管されていた記録を一般用に編集したものである。戦争の重点を太平洋に置いたアメリカ軍はサイパン、グァム、テニアン、レイテと上陸しサイパン島基地から発進したB29は東京の上空に姿を現した。そして東京空襲の際の中間基地として硫黄島が焦点に浮び上った。硫黄島は日本軍の要塞でもあり、この島を死守するため日本軍は栗林中将のもと23,000人の歩兵大隊と海軍部隊5,500名を集結させ全力をあげての防備として洞窟陣地の完璧な築城作戦に出た。6週間に渡って硫黄島はB29の爆撃を受けてしまい最も激烈な攻撃は艦砲射撃で21,926発の砲弾が撃ち込まれた。そしてアメリカ艦船は島を完全に包囲し一斉射撃開始し擢鉢山へロケット及びナパーム弾、普通銃弾で攻撃、艦砲射撃と交互に凄絶な爆撃が行なわれ硫黄島は島の形を変えてしまった。そんな大攻撃のため擢鉢山の山頂は1/4ほど吹き飛ばされたが日本軍は戦死者10名、負傷者87名という最小限の損失で治まり日本兵は全軍地下に潜り敵が上陸して来るのを持っていた。そして次々とアメリカ兵が上陸してきた。上陸地点へ向けて日本軍の反撃が開始され海岸は日本軍の激しい砲撃で血みどろの米兵が散乱していた。しかし上陸4日目、遂に米軍は擢鉢山を完全包囲、山頂に星条旗を押立てた。沖縄決戦と並び太平洋戦争でもっとも凄惨な戦いは終り米軍上陸部隊は75,000人のうち30%が負傷し4,916名が戦死。日本軍は23,000人のうち生き残ったのは1,033名だった。この映画公開後は市民に数々の教訓を与え1985年の硫黄島米軍上陸40年目に当たる日に「名誉の再会」と呼ばれる行事が行われ参加したのは硫黄島戦に参加した両軍の兵士で会場中央には両面に文が刻まれた石碑が建てられ和文が刻まれた山側には日本人参加者が英文が刻まれた海岸側には米国人参加者が整列した。除幕と献花が行われたあと参加者たちは碑に向かって歩み寄り握手・抱擁を交わし合いました。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村〓新品DVD〓 30%OFF硫黄島決戦~壮絶なる死闘そして玉砕!!~