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2012.03.28
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カテゴリ:戦争映画
吉田学校.jpg


敗戦後の日本はGHQの統制下により
厳しく、怖く、言いなりの国となり
米国の日本人虐待、戦犯扱いで一般人の死刑と
太平洋戦争における無実の人物が悲しむ結果となった。

ここに立ち上がったのが時の総理大臣
吉田茂であった。

わが祖国、日本の為に1952年4月28日
サンフランシスコ平和条約発効に至るまでの
経緯を描いたのが1983年公開の
東宝戦争映画「小説・吉田学校」である。

昭和23年、GHQ民政局次長チャールズ・ケージスは
新内閣を野党第一党・民主自由党を中心とした
連立内閣とする事を要望し
総理大臣には民自党幹事長・山崎猛が望ましいと伝えた。

しかし、党長老・松野鶴平(小沢栄太郎)の
強引な奇策と吉田茂(森繁久彌)の側近
林譲治(土屋嘉男)の必死の巻きかえし

さらに党総務会における一年生議員
田中角栄(西郷輝彦)の大胆な発言によって
形勢は逆転し、10月15日
第二次・吉田内閣が成立した。

吉田は自らの勢力を拡大するため議会の解散を図り
翌年の選挙において民自党は圧勝、
この時以来、吉田学校と呼ばれるようになる吉田派は
大量の新議員を誕生させる。

昭和24年2月16日、第三次吉田内閣が発足した。

吉田はまず平和条約草案の作成の為に
外務次官・太田一郎(神山繁)を中心とする
プロジェクトチームを極秘で結成、
太田らは血のにじむ苦難の末、
吉田の要求に答える草案を作り上げた。

続いて再びマッカーサーと会見、
池田勇人(高橋悦史)宮沢喜一(角野卓造)の
渡米許可を取り付けた。

二人の渡米の表向きの目的は
アメリカの財政・経済の視察であったが、
吉田が二人に託した密命は然るべき人物を捜し出し
対日講和の下打合せをするというものである。

二人は国務省ドッジ公使と接触する事に成功するも
昭和26年、朝鮮戦争が勃発。

意気消沈する吉田のもとにGHQから
ダレス国務長官顧問の面会要請の連絡が入る。

ダレスは吉田に早期講和に賛成する旨を告げたが
付帯条件として日本の再軍備を出した。

吉田は断腸の思いで警察予備隊の設置を認め
政敵・鳩山一郎(芦田伸介)の追放解除に伴い
謀将・三木武吉(若山富三郎)を中心とする
鳩山派の動きが日増しにその不気味さを増し、

アメリカが執拗に日本の再軍備を要求するなか、
吉田学校のメンバーは昭和27年9月8日、
遂に対日平和条約調印を実現させた。

それは日米安保条約と共に結ばれたものであった。

この映画は実在した政治家が多数実名で登場しており
佐藤栄作(竹脇無我)中曽根康弘(勝野洋)
麻生太賀吉(村井国夫)安倍晋太郎(瀬戸山功)
竹下登(下塚誠)海部俊樹(福田勝洋)
緒方竹虎(池部良)麻生太郎の母で吉田茂の娘である
麻生和子(夏目雅子)が登場している。


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Last updated  2012.03.28 18:45:55
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