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テーマ:懐かしい漫画(123)
カテゴリ:懐かしのコミック
梶原一騎が事実談として描いた プロレススーパースター列伝の第11話が 「超人一番! ハルク・ホーガン」である。 ホーガンはレスラーになる前に バンドでギターをやっていたが アントニオ猪木vsモハメド・アリを見て ホーガンはギターを捨て、 打倒猪木を誓いプロレス界に入った。 大物のフレッド・ブラッシーを参謀に付け WWEのマットへ上がり 「インクレディブル」と呼ばれる。 その後、猪木と同じ日本人の ヒロ・マツダのフロリダ道場に入門し スパーリングでマツダ相手に本気の力で勝負。 肩を脱臼させられてしまう。 新日本の参謀である新間寿の紹介で 日本へ来日、ハンセン、アンドレと 外人レスラーNo1をかけて戦った。 ハンセンに嫉妬されたホーガンは 嫉妬されるほど自分は一番となったと思い ハンセンのラリアットを上回る アックスボンバーを開発した。 これがスーパースター列伝のホーガンであるが 実際は・・・ 「ラッカス」というロックバンドの ベーシストで活動したホーガンは ビリー・グラハムに憧れ ヒロ・マツダの弟子入りしレスラーとなる。 NWAの南部地区を転々とし フレッド・ブラッシーをマネージャーに迎え WWEマットへ上がる。 新日本プロレスでは猪木の保持していた NWFヘビー級王座に挑戦し ハンセンのタッグパートナーとして活躍。 ハンセンが全日本プロレスに移籍した後は 腕をL字型に立てたまま相手の顔面に叩き込む アックスボンバーをフィニッシャーに使用。 出演映画「ロッキー3」の公開もあって 本国同様に日本でも大ブレイクし 右手人差し指を高々と上げ「イチバァーン!」と叫ぶ 決めポーズも話題になり ハンセンに代わる新日本の看板外国人選手となる。 1983年に開催されたIWGP決勝リーグ戦で 猪木をアックスボンバーで「舌出し失神状態」に追い込み KOして優勝を果たした。 その後、アイアン・シークを下しWWE世界王者となり 1985年にレッスルマニアが開始されて以降は 社会現象と呼べるほどの国民的人気を獲得した。 人気絶頂期に行われたアンドレ・ザ・ジャイアントとの 対決では9万3173人という観客動員数を記録している。 1990年には日米レスリングサミットへの出場で 久々に日本に来日し、全日マット参戦の期待もあったが 1994年、WCWへ戦場を移し、nWoを結成。 コスチュームも黒ずくめに一新し ハリウッド・ハルク・ホーガンを名乗ったが WWEに復帰し、覆面レスラー ミスターアメリカンを名乗った。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 【超人ホーガンの復刻版グッズ】【WWEオーセンティックTシャツ】WWE ハルク・ホーガン Hulk Rules Tシャツ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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