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カテゴリ:スピリチュアル
今日の屋久島は、台風一過。 さわやかな天気になっている。 さっそく、水晶の浄化に行く。 ところが・・・ まだ台風の余波で、海は大波が打ち寄せていた。 波の勢いが強く、干満の差も激しかった。 川は、大増水。 これまでに見たこともないような勢いで流れていた。 いつもより上流の水の少ないところに水晶を入れたザルを置く。 それでも流されそうになる。 石で支えて、やっと安定する。 確かに海も川も台風一過。 今日は、天体ショーもあった。 金星が太陽を横断した。 そのサイズたるや・・・ まさにケシ粒の如し。 まるで大日如来と孫悟空? いや、ルシフェル・サタンと神? ルシフェル・サタンは、以前は明けの明星のような天使だったとか・・・ そんなことを聞いた記憶がある。 圧倒的な存在感の違い。 太陽に比べたら、金星はゴミのよう。 しかも、太陽の方が遥かに彼方にある。 実際の違いは、比較にならない。 これこそが、まさに抱き参らせの世界。 太陽=大日如来は、すべてを抱き参らせている。 善も悪も、正も邪も。 それらの違いは、大日如来の前ではほとんど意味を為さない。 とは言っても、ネガティブが凝り固まると・・・ 石よりも硬くなってしまう。 もうどうしようもなくなる。 そうなると・・・ やがて、自己破壊する。 極限まで凝縮されたものは、やがて爆発する。 爆発して粉々に砕ける。 原形を留めない。 それは、天罰ではない。 自分で選んだ道。 ネガティブの行き着く先。 それは、自己分裂の道。 つまり、自我は極限まで行くと自己破壊する。 粉々になって宇宙に帰す。 それは、物質と同じ。 それが自然な流れ。 凝り固まらないで、しなやかに生きることだろうか。 それが生きているということ。 凝り固まることは、死への道。 それは、心も体も同じ。 生きているということは、しなやかさ。 しかし、しなやかさだけでは形を保てない。 それでは、水のようになってしまう。 しなやかさの内に芯が必要。 芯は、真であり、神でもある。 中心に真を持つ。 真とは、神そのもの。 霊性。 中心に真=神を保ちながら、現実をしなやかに生きる。 不動の霊性を保ちながら、現象に臨機応変に対応する。 変化極まりない色の世界を、揺るぎない空と共に生きる。 ゆったりと見守る視点を持ちながら、てきぱきと仕事をこなす。 いつもの金星は、明けの明星。 東天に光り輝く美しい星。 しかし、太陽の前では見る影もなかった。 小さな黒い塊に過ぎない。 相対的と言えば、相対的。 あまりにも太陽が大きすぎる。 太陽こそが、太陽系のいのちの源。 すべてを抱き参らせる大日如来。 太陽の光は、無償。 ただ与えるだけ。 それこそ、まさに無償の愛。 それが抱き参らせの世界。 すべてを抱き参らせて、自分を生きる。 個であり全体である自分を生きる。 ゆったりと大きく構えつつ、現実に即して生きる。 全体の視点を常に保ちつつ、個として生きる。 『金星は 愛の星ゆえ 太陽の 前を過ぎれば 愛がいや増す』 『次々と 天体ショーが 起きる時 人も宇宙も 変容し出す』 『日常の 小さなことに 囚われず 抱(いだ)き参らせ 生きてゆくのみ』 これが日記を書き始めて2712日目の心境。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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