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2020.12.27
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テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:お城・お寺 etc
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​重厚かつ天下無双の強城ともいうべき熊本城。
2016年の地震による大ダメージから大小天守の復興が進んでいる。
今回特別見学通路が公開されたこともあり、3年振りに熊本城を訪れた。

城の傍にあるホテルに宿泊すると窓から日没後のライトアップされた天守が見える。
天守の屋根にある鯱も新調されて、その堂々としたたたずまいは地震前と変わらない。
ホテルから加藤神社も近いので定番の場所から宇土櫓、天守を仰ぎ見た。宇土櫓の壁の一部はまだ剥がれ落ちたままだが、しっかりとその威容を放っていた。

日没後の残照に浮かぶ大小天守。いい姿だ
ライトの違いで色合いが違う。宇土櫓の初層の漆喰はまだ剝がれたままだ

翌朝、北十八間櫓(倒壊)、五間櫓(解体)のある石垣下に行った。前回行った際は手つかず状態で、ブルーシートが被されていたが、綺麗に石垣や櫓の部材は撤去され、整地されていた。
その先の不開門も撤去され、この辺りはすでに石の散乱状態ではなかった。

倒壊した北十八間櫓や石垣も撤去されている。下にあるのは裏込(栗石)だろうか
不開門あたり

棒庵坂を上ると戌亥櫓が見える。この櫓は飯田丸五階櫓同様隅石だけでバランスを保っていたが、今もその状態のままだった。手が付けられていないのか、この状態でもしばらくは大丈夫ということなのか、この櫓の下まで行って見学できるようになっていた。

戌亥櫓辺りはまだ手つかず状態だ
隅石の支える力はスゴイとしか言いようがない

南口券売所から設置されたスロープに沿って中に進んでいく(上がっていくというほうがいいかも)。最初に目に入る数寄屋丸は石垣の一部が崩れたままで通常なら下から仰ぎ見るのだが、このスロープのお陰で正面から状態を確認できる。

このスロープは曲輪を上から見れるので、行くなら今がチャンスですけど…
石垣のない部分はゆがんでいます(数寄屋丸)

振り返ってみると解体された飯田丸五階櫓の下から今回初めて発見された加藤清正時代の石垣が築城当時の状態でわずかに見えていた。色が違う。まさに今しか見れない石垣だ。
こういうことでもないと発見もないし、今だからこそ確認できたものが見れるというのはラッキーな気持ちもあるが何か複雑だ。

奥の白い部分が清正時代の石垣。これ以上近づけないのが残念だ

続いて「二様の石垣」越しに天守を臨む。通常もう少し後方から石垣と天守を見るのだが、この位置からだとまた違った雰囲気を味わえる。

この角度はスロープのお陰です

本丸御殿は大きな損傷を受けておらず、太い柱も折れていないとのこと。最新の技巧によって組まれているので助かったのか、土台の石垣が強かったのか、いずれにせよ、闇り通路(くらがりつうろ)は健在だった。

闇り通路(くらがりつうろ)の太い柱は損傷していないとのことだ

​この通路を出ると天守前広場に出るが、復興された天守の姿は以前にも増して堂々として圧倒的だった。​
4月には特別公開第3弾として、内部の見学ができる

宇土櫓を本丸内側から見ると、震災当時の傷跡はまだ残っていた。入口や続櫓及びその接続部分はまだまだこれからという感じだ。この櫓はとても格好が良いので、1日も早く元の姿を見たいと願わずにはいられない。

倒壊した続櫓も撤去されている
この部分はまだ痛々しい

御幸坂は下城専用になっているので、その途中改めて飯田丸五階櫓跡を見ると、今しか見れない清正時代の石垣がよりはっきり見えていた。恐らくもう見ることのない姿なのかもしれない。

手持ちの望遠では限界ですが、シートの上が清正時代の石垣

震災時に復興を願って寄付をしたのだが、その際は「復興城主」といったものがなかった(復旧支援金という名で今でもある)。今回再度寄付をしてめでたく復興城主になった。1年間は無料で入城できるのだが、交通費の方が高いので、そう何回も行くことはできそうにない。

熊本城を後にして、八代城址に行った。遺構は本丸石垣と堀ぐらいだが、大小天守のあった石垣や枡形の頬当御門跡はしっかりと残っており、当時の面影を偲べる。

八代城大天守石垣
大天守穴蔵(右に行くと小天守)
頬当御門
枡形のL字がよくわかる

続いて、宇土城(近世)。熊本城の宇土櫓がこの城の天守との伝承もあったようだが、今では否定されている。いずれにせよ、この城はかなり破却されていて、遺構としての石垣がわずかにあるだけで、空堀も幅が狭いので当時のものかどうなのかわからない。本丸跡地は公園になっており、城主だった小西行長の銅像が静かに建っていた。

宇土城本丸石垣
堀というには狭い気がする
石垣であると示す看板もあったが、その石垣もわずかしかない




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Last updated  2021.01.06 17:32:23
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