どう書いたら、ちゃんと通じるでしょう
昨日の5時間目、ゆずきの交流学級は総合学習の時間ですが、その時間はゆずきは交流の予定になっていませんでした。交流学級の学級通信を見ると、図書館での調べ学習となっているので、ゆずきには少々難しいと思います。それは私から見ても分かることなので、この時間は不参加という判断をされたのだと思うのだけれど、先月の習字の交流の1回目が支援学級の学級通信に記入されていなくて、こちらから言って確認してもらったことがあるので、記入ミスの疑いも持っていないといけないのです。この時の習字の交流については、交流の話しが出るのと学級通信が出来るのと、どちらが先だったかということもあるのですが、先に出来てしまっていたのなら(交流学級の通信を見れば分かることなのだけれど)連絡ノートに書くとか、通信に手書きで書き足すとか・・・してくれたら良いことなので・・・ということで、水曜日に私が書いた連絡ノートの文章です。明日(6月19日、木)の5時間目、3の○(交流学級)の総合学習の時間は、意図的に交流を外したのでしょうか。記入もれと区別がつかないので、理由がある時は事前に知らせて下さい。これに対する担任からの返答です。事前に話したかと思います。総合の交流学習は、全てというわけではないかと思います。体験を伴うものについて交流するようにしています。そのため、総合についての交流については、参加できる、できないを事前に3の○の担任の先生と話してきめています。木曜日の5時間目については参加しません。これに対する私からの文章です。総合的な学習については、活動や学習の内容によって参加、不参加を随時判断することは承知しておりますし、昨日のノートにも、全部参加させて下さいという意味では書いていません。個々に「今回は不参加」と知らせていただかないと、判断の上での不参加なのか、記入もれなのか、こちらでは分からないので・・・という意味なのですが・・・この担任とは、面と向かって話しをしてもこちらの言いたいことを正しく受け止めてもらえていないと感じることが珍しくありません。微妙に行き違ったやり取りを繰り返すうちにこちらが半ばキレて「わかりました。」と言ってしまうと、その言葉の奥の「これ以上言っても通じないのでもう言いませんが、私は納得していません」という空気には気づかず、「わかりました」を字義通りに受け取ってしまうようです。なので、連絡ノートなど文字だけで伝えようとする時には、出来るだけ一つの意味にしか取れないような表現を・・・と思うので、ストレートな・・・と言うよりは、かなりキツイ表現になってしまいます。が、それでもこの始末です。こういうことを気にしてわざわざ連絡ノートに書くということが、学校の先生からしたら全く想定外なのでしょうか。例えば今回の件の場合、どう書いたらこちらの一番言いたいことがちゃんと伝わったんでしょう。本日ゆずきが持ち帰った連絡ノートを開くと、こんな言葉が書かれていました。体験を伴う総合については参加するということでご理解下さい。毎週3の○の週の時間割と○○先生(交流学級の担任)との話し合いで決めています。だぁかぁらぁ・・・私は、不参加なのが納得出来ないから理由を説明しろと言っているわけではありません。今日持ち帰った交流学級の通信を見ると、今日の総合学習の時間から来週にかけて「○○っていいな」というタイトルが続きます。「○○」には私たちが住む地域の地名が入ります。このタイトルのものについては不参加と判断されたようなので、それを決めた時にそう伝えてくれればそれで良かった、それだけのことです。交流学習については、本人がどの程度理解してどの程度の深さで参加出来るかを考慮しないで、ただ参加させれば良い、その場に居させれば良いというような考えを私が持っていないことくらい、分かってもらえていると思っていた私がバカでした。「不参加を事前に伝えて欲しい」ということの意味が取り違えられていたことより、担任が私をそういう風に見ていたことの方がショックです。