カテゴリ:社会
ネットカフェ難民がどうだから国としても実態を調査してなんたらするとかいう話が先週くらいのニュースにあった。
ご苦労なことである。 ネットカフェ難民により治安が悪化したとかいうのなら腰も上げて貰わねば困るが、そうではなくて、つまり一般市民を守るのではなくて、ネットカフェ難民自身をどうにかしてやろうという趣旨らしいから、早い話が大きなお世話だ。 どこで寝ようがどこで働こうが個人の自由、というよりもその個人の生き方であって、そういう人生を送るのがいやならばそれなりに学ぶなり働くなりすればいいことである。少なくともおのれの全てをかけて努力したがネットカフェ難民にしかなれなかったというようなことはいまの日本ではありえない。 どこかで甘えたか挫折したか家出したか変な交友をしたか馬鹿な恋愛をしたか(これを男または女にだまされたとかいうのは言葉のすりかえ)、何かがあったからそうなっているわけで、つまりは自分で選んだ人生なのである。 その選択が間違っていたと後悔している人はもちろんいるだろうが、後悔だけなら猿にも出来る、ならばこそ人に数倍する苦労をして「復活」しなければなるまい。 ところでネットカフェ難民とはずいぶんかっこいい言い方で、そのうち「おれ、ネットカフェ難民やってんだ」と自慢する馬鹿も出かねない。 しかし別に漫喫乞食とも呼ばれているらしい。言い得て妙である。これなら成りたいというやつも出てこないだろう。良い名称だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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