カテゴリ:社会
従軍慰安婦という言葉は戦後でっち上げられた言葉であって、慰安婦という言葉はあっても従軍慰安婦という言葉はなかった。
というようなことは明々白々たる事実であるのだが、明々白々たる事実さえもいちいち念を押さないと話が進められないのは情けない。 アメリカ議会が「従軍慰安婦」いや「強制的に連行された性的奴隷」について非難決議をするとかいう話が話題になって、まだ収まっていないらしい。 細かなことはここでは書かない。 以下の挿話が心に残っているので、それについてだけ書く。 * 私(司令補佐・27歳)が慰安所の裏口を通りかかると翌日出撃する特攻隊長(22歳)が立っていて、私に気づき「静かに」という。そして手真似で言われるままに中を覗くと、5、6人の特攻隊員(18、9歳)と、同数の慰安婦たちがトランプ遊びの真っ最中だった。 慰安婦は台湾出身の美人揃いで、特攻隊員たちと同年輩だった。それがわあわあ言いながらトランプ遊びに夢中になって興じている。 かれらは明日の朝死ぬのである。慰安婦たちももちろんそれを承知である。 その姿には一幅の名画を見るような神々しさがあった。 私が隊長に「隊長も一緒に入ったらいいでしょう」と言うと、かれらと大して年の違わぬ隊長は静かに頭を振り「私が行くとやつらが遠慮しますから」と言った。 隊長も明日の朝死ぬのである。私は胸がつかえた。 * 明日死ぬとなれば、ましてや18、9歳の若者が慰安所に行ったのなら、やってやってやりまくり、というのは凡庸な頭の考えることであって、もちろんそういう場合もあっただろうが、実際は「わあわあ言いながらトランプ遊び」をすることのほうが貴重な体験だったのだ。 そして「特攻隊員たちと同年輩の慰安婦たち」の姿もまた胸を衝たれる。 映画『月光の夏』を観ていたらそんなことを思い出した。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年05月02日 21時57分55秒
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