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かえのぼちぼち日記

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August 12, 2007
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カテゴリ:普通の日記

お久しぶりです。

何から書きましょうか?

前回日記を書いたのは8月3日でした。

この日はわたしにとって一生忘れられない日になってしまいました。

 

母がこの日亡くなりました。

私は前日の夜母と電話で話をし、 いつものようにバカ話をして

「ほんっまにアンタはアホやなあ~」と叱られたところでした。

 

母は引っ込み思案で恥ずかしがりの人だったのですが好奇心は旺盛な人で 

パートを3年前に定年退職してからは 市の主催する老人大学に参加したり 

習い事で大人のピアノをやったり コーラスにいそしんだり・・・と楽しそうに毎日を過ごしていました。

当日もピアノのグループ発表会があり 母は自分の演奏が終わった後に倒れたそうです。

くも膜下出血でした。

お昼の12時ぐらいに倒れ、 すぐに救急車で病院に行ったのですが既に心肺停止状態だったそうで

すぐに駆けつけた父や弟は 「覚悟をしておいてほしい」とか「助かっても意識は戻らない」

などと宣告されたそうです。

 

私はその日仕事は休みだったのですが 息子の歯の矯正があり ついでに近所にできた

ショッピングセンターに行く約束をしていたので 母がそんなことになっているとはつゆ知らず

ノンキに遊んでいたんです。

家を出発する時ケータイを忘れたことに気づいたのですが

「まぁええやろ~どうせなんにもないわ~」とそのまま出かけてしまったのです。

あの時不精をせずにケータイをとりに戻っていれば・・・

 

家に帰ってきたときケータイや家の留守番電話に異様な数のメッセージが入っていて

母が倒れたこと 予断を許さない状態であることを初めて知り

ショックで立っていられませんでした。

弟に連絡すると集中治療室にいるけれど 全く反応もない 心臓も呼吸も機械で動いている

と告げられ、泣き崩れてしまいました。

すぐにクルマで病院に向かおうとしましたが 私の状態を心配した弟がダーリンが帰って

来るまで待っているようにと言い、私もその時は運転に自信がなかったので

ダーリンが帰ってくるまで 息子を抱きしめてずっと泣いていたのを覚えています。

 

病院に着くと 弟の言ったとおり全く反応もなく管でつながれた姿が痛々しかったです。

それでも その日や次の日にどうこうなる、というのではないと担当の医師から言われて

いたそうなので 後ろ髪をひかれる思いで病院を後にしましたが

実家について父や弟やダーリン 息子と話していると10分もしないうちに病院から電話があり

急変したのですぐ来るようにとのことでした。

涙でグズグズになりながら母のところへ行くと 医師が母に馬乗りになり

心臓マッサージを必死でしてくれていましたが、

今思うと私たちが到着するまでなんとか生かせていてくれたように思います。

弟や父の涙の中で 医師が「救命は難しいです」との宣告。

頑張ってほしい気持ちもありましたが 馬乗りになられて胸を押さえられている母を見ていると

可哀想で「ありがとうございました」というのがやっとでした。

23時25分 最初に倒れてから一度も目覚めることもなく半日足らずで逝ってしまいました。

 

でも今思うと 私がケータイを忘れて遊んでいた時に母は私が来るまでは、と待っていて

くれたのかもしれません。

本当に私たちが病院を後にしてすぐに急変したんで。

 

63歳でした。

あまりにも早く あっけなく 今でも悪い夢を見ているような気持ちなんですが

自分の好きなピアノを弾いて 苦しむこともなく逝った母。

考えようによってはとても幸せな最期だったのかも知れません。

 

母を実家に引き取って 母の部屋を調べると(私が嫁ぐまで使っていた部屋なんですが)

ピアノの上に「千の風になって」の譜面がありました。

正直この曲は 「人を泣かせようとする魂胆が見え見えで うそくさい曲」と思っていたの

ですが

こういう事態に直面してあらためて歌詞を読んでいると

こんなに心に染み入る曲だったのか・・・と思い 母への追悼のつもりで何度も弾きました。

嫁いでから15年。あんなに昔は弾いていたピアノだったのになかなか動かない指が

もどかしかったです。

 

一度喪服など必要なものをとりに自宅へ戻った時 ウクレレももって行きました。

そしてもう何も言わない母の枕元で「涙そうそう」を弾いてやりました。

 

実家で母が育てていた花を供え 今年の春最初で最後の海外旅行になった

イタリアでの楽しそうな写真やパスポートなどを置いてやると

ああ~ほんとに死んじゃったんやぁと涙が滝のように流れてきて

もう一生分の涙が出尽くしたような気がします。

 

これから実家では父と弟と男2人で生活していかねばならないので

とても気になるのですが 時間を見てできるだけ様子を見てやろうと思います

特に父は母をとても愛していたので本当に心配です。

 

話には聞いていましたが 親を亡くすのはいくら順番であっても

こんなに切ないものなんですね。

それに母にはまだ89歳になる祖母が健在なので 祖母のことも心配でなりません。

 

母は私のこのブログの読者でした。

私が病気で弱音を吐いたときは いつも電話をかけてくれて話を気が済むまで聞いてくれました。

前回私が書いた日記は母の倒れた日の朝にアップしたのですが

母が読んでくれた形跡がありません。

私の育てる花の記事を楽しみにしていてくれたのに。

今でも フッと気を緩めると涙がジワジワにじんできます。

いつかこの悲しみを乗り越えられる時がくるのでしょうか?

今はとても自信がありません・・・・・ 

 

 






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Last updated  August 13, 2007 10:11:50 PM
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