確か去年もこの日の日記に書きましたが
兵庫県民の私にとっては1月17日は一生忘れられへん。。。。
今日も寒い日ですけど13年前も寒かったな~。
実際の気温としては 今日ほど寒くなかったかもしれませんけど
あの日は恐怖と不安とで心が凍りついたって言ったほうがいいかもしれないな。
当時出産後の里帰り中で 西宮の実家で震度7を経験しました。
地震の来たときは 生後1ヶ月の息子を抱いて授乳中。
お布団の上に座っていたんだけど あの揺れで布団の上を転げまわり
部屋の電気シェードが蛇がのたくったように揺れまくり、途中で停電。
隣のリビングでは 母の叫び声や食器棚の中身が割れる音、テレビが飛んできた音、などなどが響き渡り・・・・・「嘘でしょ???嘘?嘘?嘘? 早く終わって!!!」と思うだけで。
とにかく抱いている息子の上に物が落ちてこないように覆いかぶさろうとするんだけど
そんな身の自由があるわけもなかったわけで。
日が昇ってあらためて布団を見ると ちょうど授乳前の息子が寝ていた頭のところに
鉢植えが落ちて粉々に砕けていて、心底生きた心地がしなかったです。
あの時息子が泣かずに寝続けていたら きっと息子も犠牲者の一人になってたはずなんです。
このことを思うと 生きてることって当たり前のようやけど ものすごくありがたいことなんやな~って 毎年思わされます。
あの日 一日中ずっと息子を抱いていてくれた母も亡くなって
息子に震災のことを語ってやれる人が一人減ったんやな~、 ちゃんと息子にあの日のことを話し続けていかなあかんな~、ということをかみしめていました。
私の職場では去年まで1月17日には正午にお客様にも呼びかけて黙祷をしていたのですが 今年はそれもなくなってしまいました。
こうやって少しずつ忘れられていくのかな?と思ったんだけど お昼を食べる前の「いただきます」を言う時に 自分で20秒ぐらいそっと黙祷しました。 ちょうどあの地震の揺れが20秒ほどだったしね。
あの当時は知らない人同士でも声を掛け合って助け合っていましたよ。
私の実家は 塀が倒れるだけで済んだんですが その塀をどけるのに
父と弟と私で四苦八苦していると 通りがかりの人が何人も「手伝いましょうか?」って
助けてくれたんです。
地震はつらい思い出ですが あの頃の人々の暖かさは苦しい時だっただけに嬉しかったなあ(;;)
はあ。地震のことを書くととまらなくなるので
続きはまた来年、ということで・・・
最後にもう一度、合掌。