テーマ:日本の歴史(53)
カテゴリ:古事記
反正天皇の後 弟が 19代允恭(インギョウ)天皇に即位しました。 病弱なので辞退するつもりでしたが みんなが薦めるので 即位しました。 允恭天皇の即位を祝って 新羅から貢物が届きました。 その中には 天皇のための薬もあります。 そして、天皇の病気の治療のために 薬師も渡って来ました。 さて、どんな天皇だったのでしょう。 允恭天皇は みんなの 氏姓が 乱れている事を嘆き きちんと正す事を考えました。 名前が 間違っている?って事か? それとも、偽名を使っている?って事か? 氏は 生まれ血筋を表し、 姓は 大和における職や階級を表します。 さて、どんなふうに 調べたかと言うと 熱い湯に 手を入れさせ やけどしなかったら 正しい。 あちっ! やけどしたら、嘘つき。 手の皮の厚い人は 正直者と言う事でしょうか。 ちょっと、信じられない。 怪しい宗教の人たちじゃあるまいに。 と思ってしまいますね。 一応、きちんと 氏姓を 正して 78歳で崩御しました。 允恭天皇が崩御すると 木梨カル皇子が即位する予定でしたが ちょっと問題を起こしました。 カル皇子は 同母の妹 カル姫 を好きになってしまったのです。 兄弟や叔父叔母との結婚が あった時代ですが 同じ父母から 産まれた兄妹の結婚はやっぱりダメだったようでした。 カル皇子は 流刑になりました。 妹の カル姫は 兄を慕って泣き、和歌を詠みました。 やがて、カル姫は 兄のいる地へ 行き 二人は共に命を絶ちました。 つづく (送料無料)【記念硬貨】 地方自治法施行60周年 「愛媛県」 1000円プルーフ銀貨 記念切手付きBセット【道後温泉】 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 わたしの持っている本によると流刑地は道後温泉の辺りだそうです。 古事記には 軽皇子と軽大郎女の恋を 和歌で表わしています。 和歌は面倒なので載せません。 <(_ _)> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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