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カテゴリ:つぶやき
父は12年前の寒い寒い雪の日、肺気腫から心不全に至って逝きました。震災の一年前。68歳でした。
とんでもない企業戦士でしたから(単身赴任30年以上、サラリーマンとしてはほぼ上り詰めました)、仕事の上ではあまり思い残すところはなかったと思います。隠退してあまり間を置かずの死でした。 4人兄弟の長男。海軍兵学校に入り、特攻隊員として基地で待機中に終戦。ポツダム少尉となってから大学に進み、マルクス経済学に傾倒。総合商社に就職してからも組合活動に燃えたそうです。 鉄鋼、繊維、食糧畑を歩き、“赤字殺しの**”なんて言われて、傾いた企業の建て直しに走り回っていました。 某超有名アパレルメーカーに社長として出向しましたが、そこで組合との対決に苦しみました。自身がかつてはマルキシストだったんですから、相当な葛藤があったことでしょう。残念ながらその会社は倒産してしまいましたが。 その後、食糧畑でかなり会社に貢献して、最後は副社長でした。どう見ても“辣腕”という感じではないのですが、面倒見がよくて、たくさんの人にとことん信頼されていました。女性にもかな~りモテたようです。 家庭人としては、どうだったか……。 そりゃもうマメで、如才ない人でしたが、一緒に寝起きしたのは8歳ぐらいまででしたから。 人として尊敬しています。でも、同じような父親になりたいとは思いませんでした。 12年前、雪の葬式には3000人ぐらいの方が焼香にお越しくださいました。一歳の息子を伴侶にまかせ、わたしはずーっと泣いていました。『早すぎる!』『仕事に殺された……』と感じていました。同じマンションに暮らしはじめたばかりでした。ゆっくり父の話を聞いて、波乱に満ちた人生を記録に残したいと思っていました。 13回忌は、妻、兄弟ふたり、子どもふたり、孫3人、嫁たち5人の13人でひそやかに。 今日も寒かったですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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