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カテゴリ:単P
朝からP室で資料づくり~。
な、なんと、ウチのPTAではこれまでずっと、転入生の保護者に対してろくにPTAの案内をしていませんでした。今年もすでに10世帯ぐらい転入生があって。 ダメじゃん! なので、転入生保護者にPTA活動の説明をし、協力を願い、問い合わせ先を教え、、、な文章をパコパコ。 あと、運動会の「禁酒・禁煙・禁場所取り・禁レジャーテーブル・禁脚立・禁パラソル・禁ペット」の案内文作成。 今年の本部には素晴らしい絵師がいて美麗なカット描いてくれますので、「これならみんな読んでくれるだろ!」なものができました。絵が描けるっていいなぁ。 で、できたものはさっそく印刷、配布。 なんだけど、わたしの入力作業のほうが遅々としていて、本部のみなさんにずいぶん時間の無駄をさせてしまいました。 段取り悪すぎ!>ぢぶん * * * * * * * * * * * * * さて、「美しい国へ・ひとり読書会」の続きです。 昨日のペースだと、いつまでたっても肝心な「教育の再生」にたどりつかないので、ペース上げ気味で。 ●その時代に生きた国民の目で歴史を見直す 「だからといってわたしは、ことさら大声で「保守主義」を叫ぶつもりはない。わたしにとって保守というのは、イデオロギーではなく、日本および日本人について考える姿勢のことだと思うからだ。 現在と未来にたいしてはもちろん、過去に生きたひとたちに対しても責任をもつ。いいかえれば、百年、千年という、日本の長い歴史のなかで育まれ、紡がれてきた伝統がなぜ守られてきたのかについて、プルーデントな認識をつねにもち続けること、それこそが保守の精神ではないか、と思っている。」 *先の大戦について、国の指導者だけでなく、マスコミも民意の多くも、軍部を支持していたでしょ? な話に続いての文章です。 この文章そのものは、「何が言いたいの?」な感じ。安倍さんは「大声ふりしぼって」なキャラクターではないけれど、いつだってかなりきっちりした保守の姿勢で発言してきたよね? その姿勢を「イデオロギー」と呼ばずして、何と呼べばいいのやら。 まあ、「イデオロギー」という手垢のついたコトバを嫌う気分はわからんでもない。コトバに敏感なのはとても良いことです(単なる言い換えじゃ意味ないけど~)。 で、コトバに敏感な安倍さんが、ここで「プルーデント」っていう、いまひとつ人口に膾炙したとは言い難いコトバを使うのはなぜなんだろう? 証券用語の「プルーデントマン・ルール」のイメージ? 単純に「慎重な」とか「思慮深い」とかいったコトバでは表現できないニュアンスを伝えたいんだよね。文脈からすると、「歴史は単純な善悪の二元論では割り切れない。あれこれいろんな側面を慎重に勘案しないと見えてこないよ」ってことなんだろうし、そのこと自体は間違ってないでしょう。 でも、安倍さんが言う「過去に生きたひとたちに対しても責任を持つ」姿勢は、結局のところ「当時の人たちもあれこれ考えて良かれと思ってやったんだから許しちゃれ」にしか聞こえない。 プルーデントマンだって、結局はどこかに投資するんでしょう。いつまでも慎重に考えてるだけじゃない。 過去の歴史に「責任を持つ」からには、どこかの時点の、誰かの行動を「こうすべきであった。これは間違っていた」と判断し、「その過ちは繰り返さない」と言わなきゃいけないんでないの? 一億総懺悔して、「あれもこれも仕方なかった。あの戦争は起こるべくして起きた」なイメージふりまいて、結局は軍部や為政者を免罪しているように思えてなりません。 ●日本が独立を取り戻すための目標 「憲法草案の起草にあたった人たちが理想主義的な情熱を抱いていたのは事実だが、連合軍の最初の意図は、日本が二度と列強として台頭することのないよう、その手足を縛ることにあった。」 「それから五十年、自民党は政権政党として、第一の目標は、高度成長によって、みごとに達成したといっていい。しかし、第二の目標は、後回しにされてしまった。順番としてはやむをえなかったのだろうが、その結果、弊害もあらわれることになった。損得が価値判断の重要な基準となり、損得を超える価値、たとえば家族の絆や、生まれ育った地域への愛着、国に対する想いが、軽視されるようになってしまったのである。」 *自由党と日本民主党が合併したのには大きなふたつの理由があった。第一の目標は「戦争で疲弊した経済力を回復すること」、第二の目標は「日本が本当の意味での独立を取り戻すこと」=「国の骨格である憲法や教育基本法を、日本国民自らの手で、白地からつくりだすこと」である、と述べた後の文章です。 わたしは、このあたりの安部さんの情緒には、かなり共感できてしまいます。 戦後、みんなが復興のためにがむしゃらに働くしかなかった。働いて、豊かになっていくのが面白くてしょうがなかった。働くこと以外は軽視され、地域での人と人のつながりはどんどん希薄になっちゃった。こりゃイカン! と、わたしも感じています。 で、それは、自主憲法を制定すればなんとかなる問題なの? 家族の絆を取り戻すこと。地域の人々と触れあい、ともに地域を良くしていこうとすること。 占領下に作られた憲法は、そうしたことを軽視している? 自主憲法でそのようなことを重視し、強制すれば、みんなが貧しくとも、清く正しく美しい生き方に目覚める? 家族や地域の絆と、働いて豊かになること。 たいていの人は、「どっちも大切」だと、心の底では感じてるんじゃないのかなぁ。 限られた時間の中で、どちらにどれほどの時間とエネルギーを投入するか、悩みながら、どうにか折り合いをつけて暮らしているんだと、わたしは思ってる。 その時間とエネルギーの割り振りを、どうすればもうちょっと「家族・地域」寄りにすることができるのか。 この本で、これから安倍さんなりの回答が見えてくるんでしょうね。 まだまだじっくり読ませてもらいます。 (はい、これで1割……ちっともペース上がってないじゃん!) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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