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テーマ:坂本龍馬と海援隊(339)
カテゴリ:坂本龍馬
しばらくご無沙汰しまして、申し訳ありません・・・m(_ _)m
ほとんど、冨樫義博氏の「HUNTER×HUNTER」を馬鹿にできない状況ですが(笑)、今日だけは復活しないわけにはいられません! 本日「11月15日」は我が敬愛する坂本龍馬の誕生日です! (旧跡を西暦に直すと1836年1月3日になりますが、その辺は置いておいて・・・) さあ!さあ!皆さん、お酒を用意して「かんぱ~い!」といきましょう!(笑) ところで、最近なかなか時間が無くて更新していませんでしたが、気になるニュースがいくつか・・・。 週間ポストが「観光偽装追求シリーズ」なるものを連載したおかげで、何となく龍馬に関する史跡がうさんくさくなってしまいましたが・・・、 「寺田屋」~庭に「寺田屋遺址」と書かれた碑があり、寺田屋は1868年の戊辰戦争、鳥羽伏見の戦いで焼失していて、もとは現在の寺田屋東側にある庭に建っていたとするもの。にもかかわらず、館内では、「この寺田屋は維新の舞台となった当時の船宿そのままでございます。これが現存することも珍しいことでございますが、この寺田屋の建物の中で歴史が作られたのでございます・・・」という音声解説が流れている。 ※1905年の「寺田屋7代目当主伊助」の申立書に、「戊申の兵火(1868年)にかかり家屋もろとも消失し」とあり、風呂場は登記をみると、1908年に新築されています。東隣にある寺田屋騒動(1862年)を記念する碑(1894年建立)に、「寺田屋遺址」とあり、鳥羽伏見の戦いで付近一帯が焼けたことは、住民にも伝わっていました。2008年9月25日、京都市は公式見解として、調査の結果「当時の建物は焼失したと考えるのが妥当」と発表し、寺田屋に対して、観光客らに誤解を与えることがないような対策を取ることを要請しました。 以前から歴史家の間では、周知の事実だったようですが、「当時のまま現存」として観光客を集めていた事については罪は重いともいます。後に非売品としましたが、例のフルベッキ写真を高額で売っていたぐらいですから、元々うさんくさい感じはしていましたけどねえ・・・。 「明保野亭」~「龍馬の密会場所」も観光偽装!と、書かれた物。ただしこの「密会」とは「竜馬がゆく」で「竜馬」と「お田鶴さま」が密会したこの場所が、実は別の場所にあった物であると言うことらしいが、そもそもこの話は司馬遼太郎氏の創作じゃん!話にならん! 新撰組ファンには周知の事実で、もとは現在の「料亭坂口」のあたりにありました。龍馬と関係ありません・・・。 「花月」~2階「竜の間」にある床柱につけられた刀傷が龍馬がつけた物とされているが、実は小島の養生所の医学生が酔ってつけた傷であるとのこと。これについては最初から信じていませんでした。なぜかと言えば私の考える坂本龍馬は、酔って料亭の柱に斬りかかるような人物ではないと思っていたからです。 こちらは、県指定の史跡でもあり、龍馬が訪れていたのも事実。いらない宣伝をしなければ良かったのに・・・と思います。 いずれにせよ、確かに「偽装」といえば偽装でしょう。観光客目当てに何とか「英雄」坂本龍馬との関連を宣伝して商売にしてきたわけですから・・・。ただ、この記事を書いている「週間ポスト」はといえばやはり「坂本龍馬」という名前を使って部数を伸ばそうとしているわけですから同じなのかな・・と思っています。 違う側面から見れば、やはり、今でも「坂本龍馬」はこの国の話題になる「英雄」なのだな・・・と思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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